西秦
(section)publish: 2021-11-08, update: 2026-06-05
目次
章節
標籤
概要
| 名称 | 成立 | 滅亡 | 期間 |
|---|---|---|---|
| 西秦 | 385 | 431 | 46 |
西秦は鮮卑乞伏部の乞伏国仁によって建てられた王朝。 前秦から独立した勢力ではあるが、当初は前秦の残党と共同し、その後は後秦に服属して半独立勢力の状態が長い。 西晋の歴代主導者は結果的に皇帝を称さなかった。
主な出来事
背景
鮮卑乞伏部は河西回廊から隴西にかけて居住した鮮卑の一部族である。 371年に乞伏司繁が前秦の益州刺史・王統の攻撃に降り前秦に服属した。 383年、乞伏歩頽が隴西で反乱を起こすとその甥の乞伏国仁が鎮圧に当たったが、その直後に前秦が淝水の戦いに敗北したため、乞伏国仁は乞伏歩頽に説得されて隴西に割拠した。
- 385
- 乞伏国仁が大単于を自称する
苻堅が姚萇に殺されると、乞伏国仁は大単于を自称して元号を建義と定めた。
- 394
- 乞伏乾帰が苻崇を殺す(前秦の滅亡)
乞伏国仁とその後を継いだ乞伏乾帰は前秦の残党とは共同して後秦と敵対していたが、苻登が姚興に殺されると乞伏乾帰は前秦に見切りをつけて後継の苻崇を滅ぼした。 これにより前秦は滅亡した。
- 395
- 乞伏勅勃を人質として後涼に服属する
- 400
- 乞伏乾帰が南涼、次いで後秦に亡命する
- 409
- 乞伏乾帰が秦王を自称する
- 412
- 乞伏乾帰が乞伏公府に殺される
乞伏熾磐の治世は十六年間におよんだ。 その間、南涼を滅ぼし、吐谷渾を攻めて益州西部を併合し、東晋に圧迫された後秦領を切り取った。
- 414
- 乞伏熾磐が南涼の楽都を攻略する(南涼の滅亡)
- 431
- 夏の赫連定が南安を攻略する(西秦の滅亡)
系譜
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乞伏司繁
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乞伏国仁
宣烈王
1
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乞伏公府
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乞伏乾帰
武元王
2
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乞伏熾磐
文昭王
3
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乞伏暮末
末主
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- 左側が年長者
- 数字は継承順
- 継承に関係のない筋は省略している場合がある
歴代君主
乞伏国仁
?-388年。字は烈祖。西秦の創建者。宣烈王。乞伏司繁の子。隴西鮮卑の出身。前秦から南単于に封じられた。淝水の戦いの前、叔父の乞伏歩頽が反乱を起こすと討伐に当たったが、淝水の戦いで前秦が大敗すると慰留されて状況を静観した。苻堅が姚萇により殺害されると独立した。
乞伏乾帰
?-412年。字は高祖。西秦の第2代の王。武元王。乞伏国仁の弟。始め前秦の苻登に従ったが苻登が戦死すると子の苻崇を攻撃し前秦を滅ぼした。亡命を繰り返すも自己の勢力を保持し続け後秦の衰退が顕著になると再び独立した。甥の乞伏公府に殺害される。
乞伏熾磐
?-428年。字は太祖。西秦の第3代の王。文昭王。乞伏乾帰の子。南涼の人質となっていたが、後に父乞伏乾帰の下に出奔する。西秦が復興すると立太子される。父が乞伏公府に殺害されると乞伏公府を殺害し王位を継承した。南涼を滅ぼし北涼と抗争した。病没。在位16年。
乞伏暮末
?-431年。西秦の第4代の王。乞伏熾磐の子。乞伏熾磐の死後王位を継承した。北涼の攻撃により北魏への帰順を画策するが果たされなかった。夏の攻撃に降伏し、まもなく赫連定に殺害された。在位3年。