高湛 ( こうたん )

publish: 2021-11-05, update: 2026-04-19

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537年-569年。北斉の第4代皇帝。武成帝。高歓の第9子。兄高演が落馬で重体となると、帝位を譲られて即位した。贅沢を尽くして、強引な賦役を課し、和士開などの奸臣に専横を許すなど、朝廷内の腐敗を促進させた。子の高緯に帝位を譲り太上皇帝となった。病没。在位4年。

関連

高開

?-352年。渤海郡蓨県の人。高瞻の子。父の高瞻は東夷校尉・崔毖に属したが、崔毖が慕容廆に敗れると憂死した。慕容儁の代に仕官し、昌黎郡太守となった。前燕の中原進出に従軍し、慕容恪に献策して不利な前燕軍を立て直した。冉閔との乱戦のなか傷を受け病没した。

乞伏国仁

?-388年。字は烈祖。西秦の創建者。宣烈王。乞伏司繁の子。隴西鮮卑の出身。前秦から南単于に封じられた。淝水の戦いの前、叔父の乞伏歩頽が反乱を起こすと討伐に当たったが、淝水の戦いで前秦が大敗すると慰留されて状況を静観した。苻堅が姚萇により殺害されると独立した。

拓跋翳槐

?-338年。代の第7代、および第9代王。拓跋鬱律の子。父が惟氏に殺害されると賀蘭部に逃れ匿われた。賀蘭藹頭に擁立されて代王となった。弟の拓跋什翼犍を襄国に送り後趙と修好した。怠慢の賀蘭藹頭を殺したため諸族に離反され鄴へ逃亡した。後趙の後援を受けて拓跋紇那を破り、本拠を大寧から盛楽へ移した。

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