劉彧
publish: 2021-08-08, update: 2026-04-19
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439年-472年。字は休炳。劉宋の第6代皇帝。明帝。劉義隆の第11子。甥劉子業が暴虐であったため、殺害して皇帝に即位した。しかし世論を得られず反乱が頻発し、北魏の侵攻、財政難、賄賂の横行などに苦慮した。降伏には寛容である一方で多くの皇族を処刑した。在位6年。
関連
慕容翰
?-344年。字は元邕。慕容廆の庶長子。父の寵愛を受け、大任をこなす才略を持ち徳望を集めた。庶子という立場から慕容皝に疎まれて、段部や宇文部に亡命した。後に慕容皝に迎えられて帰国し厚遇されたが、病床に伏せるようになると讒言を信じた慕容皝に賜死を受けた。
閻式
?-309年。天水郡の人。閻彧とも。李特たちが難民を連れて益州へ移るとこれに従った。益州刺史として羅尚が着任すると李特の使者として度々往来し、難民側の主張を羅尚に伝える一方で、羅尚から李特への懐柔の窓口となった。李雄の代に尚書令まで昇るが、配下の訇琦、張金苟に殺害された。
李歆
?-420年。字は士業。西涼の第2代公。後主。李暠の第2子。父の死後公位を継ぐ。父・李暠の政策を継承し東晋に臣従した。刑賞の乱れや財政難を起こし失政が続いた。北涼への遠征を強行するも、逆に北涼の沮渠蒙遜に大敗し捕らえられて処刑された。