劉彧 ( りゅういく )

publish: 2021-08-08, update: 2026-04-19

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439年-472年。字は休炳。劉宋の第6代皇帝。明帝。劉義隆の第11子。甥劉子業が暴虐であったため、殺害して皇帝に即位した。しかし世論を得られず反乱が頻発し、北魏の侵攻、財政難、賄賂の横行などに苦慮した。降伏には寛容である一方で多くの皇族を処刑した。在位6年。

関連

荀彧

163年-212年。字は文若。潁川郡潁陰県の人。若い頃に何顒から王佐の才と称えられた。董卓と袁紹の下を去り曹操に仕官した。曹操の魏公進爵に反対した。孫権征討の際に病気のために寿春に留まり憂いにより没した。漢の侍中、光録大夫、持節まで昇った。諡は敬。万歳亭侯。

独孤信

502年-557年。字は期弥頭。本名は如願。匈奴の出自。雲中郡の人。独孤庫者の子。六鎮の乱で活躍し爾朱栄の配下となった。宇文泰の信任を得て西魏の重鎮となった。北周成立時に実権を掌握する宇文護の暗殺を計画し賜死を受けた。娘がそれぞれ北周、隋、唐の皇后として嫁いだ。容姿が美しく独孤郎の異名をとった。

呂婆楼

生没年不詳。字は広平。略陽郡の人。苻健が後趙から独立すると従った。侍中、尚書など高官を歴任した。苻堅の政変で王猛を推挙し、苻生の殺害に関わった。王猛、強汪、梁平老と共に王佐の才と評された。後涼の呂光は子にあたる。

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