蕭荘 ( しょうそう )

publish: 2021-11-02, update: 2026-04-19

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548年-578年。梁の第8代皇帝。永嘉王。蕭繹の子蕭方等の子。人質として北斉に送られたが、前代の蕭方智が陳霸先に禅譲したとき、北斉の支援を受けて帰還、梁の再興を図る王琳により皇帝に擁立された。陳、北周と交戦するが王琳の敗死により北斉へ亡命した。北斉の滅亡後に病死。

関連

陳俊

?-47年。字は子昭。南陽郡西鄂県の人。劉嘉の長史となったが、劉嘉の薦めで劉秀の安集掾となった。各地の農民反乱の鎮圧に働いたほか、董憲や張歩を討伐した。泰山太守、琅邪太守として山東の鎮撫に大きく貢献した。琅邪太守、祝阿侯。

呂婆楼

生没年不詳。字は広平。略陽郡の人。苻健が後趙から独立すると従った。侍中、尚書など高官を歴任した。苻堅の政変で王猛を推挙し、苻生の殺害に関わった。王猛、強汪、梁平老と共に王佐の才と評された。後涼の呂光は子にあたる。

司馬穎

279年-306年。字は章度。成都王。司馬炎の第16子。八王の一人。三王起義の一人として司馬倫を討伐した。後に司馬冏、司馬乂、司馬越と立て続けに対立した。司馬越に敗れて司馬虓に幽閉されていたが、復権を恐れられて処刑された。配下の劉淵は救援を名目に匈奴を独立せしめ、後の前趙を構成した。

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