劉辯 ( りゅうべん )

publish: 2021-12-04, update: 2026-04-19

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173年-190年。少帝。後漢の第13代皇帝。劉宏の子。皇太后・何氏と何進によって擁立されたが、まもなく何進は宦官の張譲らに暗殺され、張譲ら宦官も袁紹らに虐殺されたため、朝廷は混乱の極みに達した。後に朝廷を掌握した董卓によって弘農王に降格され、長安への遷都を前にして毒殺された。

范曄の『後漢書』では皇帝として扱われない。

関連

司馬道子

364年-403年。字は道子。第8代皇帝・司馬昱の子。琅邪王、次いで会稽王。司馬曜からの信任が厚く、謝安を左遷させると中央の要職を掌握した。やがて酒におぼれて無頓着となり、王国宝と共に朝廷を恣縦した。王恭、桓玄らが反乱すると子に実権を委ねて事態を収拾させた。司馬元顕が失脚すると捕縛、毒殺された。

劉喬

249年-311年。字は仲彦。南陽郡安衆県の人。劉阜の子。前漢の長沙王・劉発の末裔。王戎の属官となり呉征伐の功で滎陽県令となった。楊駿の誅殺や賈氏の排斥に協力し昇進を重ねた。豫州刺史として張昌の乱を鎮め、承制する司馬越に反発した。司馬越が実権を握ると許されたが、司馬越の死後、石勒の攻撃により捕縛、処刑された。

李班

288年-334年。成漢の第2代皇帝。哀帝。李雄の兄李蕩の子。時の皇帝李雄の甥であったが、李雄は兄李蕩こそが正当な継承者と考えていたため立太子される。李雄の死後その後を継ぐが、皇位継承に不満を持った李雄の子李越に暗殺される。在位は1年に満たない。

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