劉辯
publish: 2021-12-04, update: 2026-04-19
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173年-190年。少帝。後漢の第13代皇帝。劉宏の子。皇太后・何氏と何進によって擁立されたが、まもなく何進は宦官の張譲らに暗殺され、張譲ら宦官も袁紹らに虐殺されたため、朝廷は混乱の極みに達した。後に朝廷を掌握した董卓によって弘農王に降格され、長安への遷都を前にして毒殺された。
范曄の『後漢書』では皇帝として扱われない。
関連
景丹
?-26年。字は孫卿。馮翊櫟陽県の人。王莽の頃、上谷郡の吏を務め、劉玄の即位に伴って上谷郡の長史となった。劉秀に従うと偏将軍、奉義侯となり河北平定で大きな功を成した。呉漢に次ぐ軍権を持った。蘇況の討伐を病を押して遂行し、そのまま没した。驃騎大将軍、櫟陽侯。
慕容盛
373年-401年。字は道運。後燕の第3代皇帝。昭武帝。慕容宝の第1子。幼年時代を長安で過ごしたが西燕が安定しなかったため後燕に亡命した。蘭汗が慕容宝を殺害すると一時は蘭汗に従うがまもなく殺害して皇帝に即位した。治政は厳格に過ぎ相次ぐ反乱の中で横死した。在位3年。
元育
?-555年。淮安王。字は僧会。北魏の高陽王・元雍の子。献文帝・拓跋弘の孫。孝武帝・元脩に従って関中に入った。西魏の使持節、大将軍、大都督を兼任した。尚書・元烈が宇文泰に殺害されると、不満を漏らす元欽を泣いて諫めたが、宇文泰による元欽廃位を止められなかった。