慕容皝 ( ぼようこう )

publish: 2021-07-29, update: 2026-04-19

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297年-348年。字は元真。前燕の初代王。文明帝。慕容廆の三男。父慕容廆の死後、弟慕容仁と覇権を争うが、これを収めて遼東公となる。燕王を称し東晋に追認される。同じ鮮卑の段、宇文を滅ぼし、高句麗、後趙へ外征した。落馬の重症が元で病没。在位15年。

関連

劉秀

前5年-57年。光武帝。後漢の初代皇帝。字は文叔。劉欽の子。前漢の長沙王・劉発の末裔。王莽の失政で各地で反乱が頻発すると、兄・劉演と共に南陽から挙兵した。河北を平定して更始帝・劉玄から自立し、諸勢力を討伐して漢王朝を復興させた。歴代の中華王朝きっての名君の一人。

顔之推

531年-591年。字は介。顔協の子。学識と文才に長じて蕭繹に仕えた。侯景の乱とその後の混乱により、梁、西魏、北斉、北周、隋と5つの王朝を生き延びた。子孫に対する家訓として『顔氏家訓』を著した。顔真卿は来孫にあたる。

慕容運

生没年不詳。慕容渉帰の子。慕容吐谷渾、慕容廆の弟。事跡に乏しいが子孫は興隆して、孫の慕容永は西燕最後の皇帝となったほか、同じく孫の慕容精、曾孫の慕容勝は姓を豆盧(とうろ)に変えて北魏から隋唐時代にかけて繁栄した。

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