慕容皝 ( ぼようこう )

publish: 2021-07-29, update: 2026-04-19

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297年-348年。字は元真。前燕の初代王。文明帝。慕容廆の三男。父慕容廆の死後、弟慕容仁と覇権を争うが、これを収めて遼東公となる。燕王を称し東晋に追認される。同じ鮮卑の段、宇文を滅ぼし、高句麗、後趙へ外征した。落馬の重症が元で病没。在位15年。

関連

陳羣

?-237年。字は長文。豫州潁川郡許昌県の人。陳寔の孫。陳紀の子。孔融に認められて名を世間に知られた。始め劉備に仕えたのち荀彧の推挙で曹操に招聘された。曹操の魏公封爵に従って御史中丞となり、重職を歴任して司空まで昇った。人物鑑定に長けた。九品官人法を建議した。潁陰靖侯。

王浚

252年-314年。字は彭祖。王沈の子。都督幽州諸軍事として幽州の軍事を総括した。辺境の地の利を活かして三王起義ではどちらにも与せず、司馬顒、司馬穎と敵対した。鮮卑と修好する一方で、劉琨と内訌した。西晋が著しく弱体化すると帝位を狙ったが石勒に滅ぼされた。

慕容熙

385年-407年。字は道文。後燕の第4代皇帝。昭文帝。慕容垂の子。慕容盛の死後帝位を継ぐ。皇后の苻訓英ともに贅沢を極め国力を傾けた。苻皇后の死後は精神を病んだ。葬儀のため外出すると高雲に龍城を占拠された。逃亡したが見つかり殺害された。在位6年。

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