劉炟
publish: 2021-12-03, update: 2026-04-19
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57年-88年。章帝。後漢の第3代皇帝。劉荘の子。儒学を好んで寛容な政治を布き経済発展に寄与したほか、外征でも積極策を前代から継承した。儒学への傾倒は経典解釈の議論へ自ら参加するほどであった。馬皇太后の死後、皇后・竇氏が側室を誣告して自死させるなど外戚の強権が目立ち始めた。
関連
拓跋嗣
392年-423年。北魏の第2代皇帝。明元帝。拓跋珪の第1子。父拓跋珪が弟拓跋紹に殺害されると、拓跋紹を討って皇帝に即位した。崔宏、崔浩を重用した。周辺諸国と絶えず係争し北魏による華北統一の道筋を作った。宋との戦役中に陣没した。在位14年。
袁術
155年-199年。字は公路。汝南郡汝陽県の人。袁逢の子。名門出身で孝廉を経て河南尹など務めた。何進の暗殺を機に宦官を誅殺するが、董卓が入朝すると禍を恐れて南陽を実効支配した。曹操らと争って拠点を寿春へ移し、皇帝に即位して国号を仲とした。失政と外患により国威は失せ、病死した。
葛栄
?-528年。懐朔鎮の鎮将。六鎮の乱に際して定州を拠点に反乱した鮮于修礼に従い、鮮于修礼の死後はその反乱軍を掌握した。柔玄鎮の杜洛周らを併呑して強勢を誇ったが、高歓らの離脱と重なって爾朱栄に敗北し、捕らわれて処刑された。六鎮の乱における組織立った最後の指導者。