劉炟
publish: 2021-12-03, update: 2026-04-19
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57年-88年。章帝。後漢の第3代皇帝。劉荘の子。儒学を好んで寛容な政治を布き経済発展に寄与したほか、外征でも積極策を前代から継承した。儒学への傾倒は経典解釈の議論へ自ら参加するほどであった。馬皇太后の死後、皇后・竇氏が側室を誣告して自死させるなど外戚の強権が目立ち始めた。
関連
封奕
?-365年。字は子専。渤海郡蓨県の人。封悛の子。祖父の封釈は西晋の侍中であり、東夷校尉として遼東一帯を管轄した。幼少より慕容廆と面識を深め、早くから前燕の黎明に携わった。国相を務めて官吏の筆頭となり、前燕の中原進出を支えた。慕容儁が皇帝に即位すると太尉に任じられた。病没。
高澄
521年-549年。字は子恵。高歓の子。強い政治力をもって高歓の死後、東魏の実権を掌握したが、梁の降臣・蘭京に殺害された。実権は弟の高洋が継いだ。元善見を狗脚の朕と罵倒した苛烈な性格の持ち主。美男子と評される。
侯莫陳順
?-557年。代郡武川鎮の人。侯莫陳興の子。侯莫陳崇の兄。爾朱栄、次いで賀抜勝に従った。北魏末の反乱に従軍して栄転した。孝武帝・元脩に従って関中に入り、同郷の宇文泰から歓迎された。東魏戦線で活躍したほか、氐の反乱鎮圧では離間を行うなど知略にも優れた。