王敦
publish: 2021-04-25, update: 2026-04-19
章節
標籤
266年-324年。字は処仲。王基の子。王導の従兄。司馬睿と共に江東に移った。行政を取り仕切った王導に対して軍権を掌握した。王氏の強権を警戒した司馬睿に忌避されたため、反乱を起こして政敵を粛清した。司馬紹から討伐の勅命が出され、再び反乱を起こしたが病没した。
関連
閻式
?-309年。天水郡の人。閻彧とも。李特たちが難民を連れて益州へ移るとこれに従った。益州刺史として羅尚が着任すると李特の使者として度々往来し、難民側の主張を羅尚に伝える一方で、羅尚から李特への懐柔の窓口となった。李雄の代に尚書令まで昇るが、配下の訇琦、張金苟に殺害された。
祖珽
生没年不詳。字は孝徴。范陽郡遒県の人。祖瑩の子。范陽祖氏の出身で、勲貴や恩倖と権力を争った典型的な漢人系名族。和士開と争って入獄し、失明してなお権力への情熱を失わなかった。勲貴の斛律光を失脚させたほか、過度な権力闘争により北斉を衰退させた。北徐州刺史に左遷され任地にて没した。
陶侃
259年-334年。字は士行。陶丹の子。劉弘に招聘されて張昌の乱を皮切りに江南に続出した反乱を鎮圧した。やがて江南を支配する司馬睿に帰順すると、杜弢、王敦、蘇峻の乱で功を成し西府軍団の母体を築いた。晩年は襄陽を回復した。朝廷への干渉を慎み続けた。病没。