劉駿
publish: 2021-08-08, update: 2026-04-19
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430年-464年。字は休龍。劉宋の第4代皇帝。孝武帝。劉義隆の第3子。皇太子であった兄劉劭が劉義隆を殺害すると、これを打つべく挙兵、皇帝に即位し、建康を陥落させ劉劭を処刑した。寒門を登用して中央集権を進めたが、残虐な一面も多く国を疲弊させた。在位11年。
関連
劉隆
?-57年。字は元伯。劉礼の子。長沙王・劉発、および安衆侯・劉丹の末裔で、劉秀とは同じ南陽劉氏で遠い縁戚にあたる。劉玄から騎都尉を任命されたが、劉秀に合流した。南郡太守を務めたとき不正により一時庶民に落された。呉漢の死後は、大司馬を兼任した。驃騎将軍、慎侯。
元育
?-555年。淮安王。字は僧会。北魏の高陽王・元雍の子。献文帝・拓跋弘の孫。孝武帝・元脩に従って関中に入った。西魏の使持節、大将軍、大都督を兼任した。尚書・元烈が宇文泰に殺害されると、不満を漏らす元欽を泣いて諫めたが、宇文泰による元欽廃位を止められなかった。
可足渾氏
生没年不詳。慕容儁の皇后。景昭皇后。慕容暐、慕容沖の母。猜疑心や妬心が強く、慕容垂の妻である段氏を死に至らしめたため、慕容垂とは徹底的に仲違いした。権力掌握を目指した慕輿根に利用されたり、慕容垂の誅殺を企むなど、前燕滅亡の遠因となった。