劉懿
publish: 2021-12-03, update: 2026-04-19
章節
標籤
?-125年。少帝。後漢の第7代皇帝。済北王・劉寿の子。劉炟の孫。劉祜の死後、皇太后・閻氏によって擁立されたが、間もなく病没した。後に、孫程によって閻一族が粛清されると、王に降格されて改葬された。正史である范曄の『後漢書』では皇帝として扱われない。
関連
元善見
524年-552年。東魏唯一の皇帝。孝静帝。拓跋宏の曾孫。元懌の孫。元亶の第1子。元脩が高歓の排除に失敗して宇文泰を頼ると、洛陽には皇帝が不在となったため高歓に擁立された。高歓の傀儡であり実権は高澄、高洋へ継がれた。高澄の誅殺を計画するが失敗し、高洋に禅譲した。
祭遵
?-33年。字は弟孫。潁川郡潁陽県の人。更始政権下で県の吏だったが、容姿と態度を劉秀に気に入られ河北攻略に従った。性は温厚でありながら苛烈であった。儒者であり清廉潔白を信条とし、罪を犯した者は劉秀の一族であっても格殺した。怒った劉秀に逮捕されたが、許されて厳正さを称えられた。征虜将軍、潁陽侯。
蕭淵明
?-556年。字は靖通。梁の第6代皇帝。閔帝。蕭懿の第5子。侯景が梁に降伏した際、東魏と戦って捕虜となり長らく抑留された。東魏に代わった北斉により皇帝として梁に送り込まれた。王僧弁に支持されて即位するが、陳霸先の攻撃に王僧弁が敗死したため、廃されて間もなく病没した。