楊駿 ( ようしゅん )

publish: 2021-04-24, update: 2026-04-19

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?-291年。字は文長。一族の楊艶、楊芷が司馬炎の皇后となった。外戚として権力を集め、重職を委ねられるようになったが、能力に不足し人望は高まらなかった。専横を憎む賈南風一派の政変によって失脚し、一族もろとも処刑された。暗愚だったが、敵対者を無暗に殺害しなかった。

関連

申鍾

生没年不詳。魏郡魏県の人。後趙に仕えて侍中、司徒を歴任した。石虎の横暴を諫めた争臣としての逸話が残る。冉閔が魏を建国すると、これに従い太尉となった。前燕によって冉閔が滅亡すると、捕縛されて薊に送られるが、許されて慕容儁に登用された。その後の事跡は不明。

苻登

343年-393年。字は文高。前秦の第5代皇帝。高帝。宗室傍流の苻敞の子。淝水の戦い以後前秦の源泉ともいえる枹罕に割拠した。苻丕が敗死すると皇帝に即位した。一時は攻勢に転じるが大界の戦いの敗北以後勢力は後退した。廃橋の戦いで捕縛され処刑された。

劉植

?-26年。字は伯先。鉅鹿郡昌城県の人。王郎が挙兵して河北が揺れたとき、昌城県を守って劉秀を迎え入れた。真定王劉楊との婚姻外交を行い、郭聖通との縁組を成立させた。これにより劉秀の河北における地盤を固めた。驍騎将軍、昌城侯。

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