楊駿 ( ようしゅん )

publish: 2021-04-24, update: 2026-04-19

章節

標籤

?-291年。字は文長。一族の楊艶、楊芷が司馬炎の皇后となった。外戚として権力を集め、重職を委ねられるようになったが、能力に不足し人望は高まらなかった。専横を憎む賈南風一派の政変によって失脚し、一族もろとも処刑された。暗愚だったが、敵対者を無暗に殺害しなかった。

関連

劉表

142年-208年。字は景升。山陽郡高平県の人。前漢の魯恭王劉余の末裔。太学で儒学に精通し八及と称された。張倹の逃亡を幇助して自らも追われたが、党錮の禁が解かれると復職して荊州刺史を務めた。荊州を発展させ群雄の一人として割拠したが、曹操の南進の直前に病没した。

蓋延

?-39年。字は巨卿。漁陽郡要陽県の人。身長八尺、三百斤の強弓を引いた肉体の持ち主。漁陽太守・彭寵の下で営尉、護軍都尉を兼任した。彭寵とともに劉秀に従い偏将軍、列侯となった。将軍職の上位にあり多くの遠征を指揮した一方で、血気盛んで非法が多かった。虎牙大将軍、安平侯。

劉衛辰

?-392年。匈奴鉄弗部の大人。劉務桓の子。赫連勃勃の父。鉄弗部を率いて代と前秦の間で離合集散を繰り返した。前秦の攻撃で代が滅亡すると、代の東西分割に伴って西単于に封爵された。前秦が崩壊すると西燕、後秦、後燕と外交して北魏と争ったが、北魏に本拠・代来城を攻略され殺害された。

/opt/build/repo/content/dynasties/265_西晋/retsuden/291_楊駿.md