劉裕
publish: 2021-08-08, update: 2026-04-19
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363年-422年。字は徳輿。劉宋の初代皇帝。武帝。劉翹の子。劉牢之に従い軍功を重ねた。劉牢之が失脚すると桓玄に属したが、桓玄が司馬徳宗を廃して皇帝を自称すると、劉毅・諸葛長民らと反乱した。桓玄を討って司馬徳宗を復位させるが、後に自ら皇帝となり宋を建国した。在位2年。
関連
高殷
545年-561年。字は正道。北斉の第2代皇帝。廃帝。高洋の第1子。北斉建国と共に立太子されるが、父の高洋に疎まれた。父高洋の死後即位する。鮮卑系武官と漢人系文官の対立を経て高演へ権力が集中した。太皇太后の婁昭君の勅令により廃され、後に高演に殺害された。在位1年。
王梁
?-38年。字は君厳。漁陽郡要陽県の人。彭寵から狐奴県県令代行とされた。河北を攻略する劉秀に従い、野王県県令を務めて洛陽方面を守備した。劉秀の即位時に大司空に抜擢され、中郎将、執金吾を歴任した。軍法違反や運河工事の失敗など度々蹉跌した。河南尹、阜成侯。
耿純
?-37年。字は伯山。鉅鹿郡宋子県の人。耿艾の子。真定王劉楊の外戚、甥にあたる。更始政権ではその出自を買われ鉅鹿へ赴任したが、王郎の挙兵で河北が乱れると劉秀に恭順した。一族の屋敷を焼いて忠誠を示し、後に反乱を企てた劉楊を謀殺した。劉秀の皇帝即位を強く薦めた。東郡太守、東光侯。