趙貴 ( ちょうき )

publish: 2021-05-16, update: 2026-04-19

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?-557年。字は元貴、元宝。天水郡顕親県の人。祖父・趙仁の代に武川鎮に移った。六鎮の乱では葛栄に捕えられたが、葛栄が敗れると、爾朱栄に降って賀抜岳に従った。賀抜岳の死後は残党の収拾に務め宇文泰を迎え入れた。西魏の重鎮。行政に優れた。北周成立時に宇文護の暗殺を謀ったが露見して処刑された。

関連

李蕩

?-303年。字は仲平。李特の子。父に従って益州に入り、李特が羅尚と対立すると共に戦った。羅尚の奇襲により李特が戦死した後も、李流の指揮下で抗戦した。羅尚の勢力を覆す善戦をしたが傷がもとで没した。学問に通じ容姿が美しかった。

張賓

?-322年。字は孟孫。趙郡中丘県の人。漢人。張瑶の子。張宝とも。初め西晋に仕官したが望みを得ず辞職した。石勒が中原に進出すると自ら出仕し、早くから側近としての信任を得た。王弥暗殺の計画をはじめ、多くの遠謀を持って石勒の絶大な待遇を得てなお、処世に誤りが無かった。病没。

李特

?-303年。巴氐の出身。斉万年の乱の時、流民となり蜀に移住する。趙廞の乱ではこれに従うが、趙廞が彼の弟を殺害したために、逆に趙廞を殺し実質的な蜀の支配者となる。のち益州刺史として赴任した羅尚と対立し、改元・自立を宣言した。羅尚に対して一時は優勢を維持するも戦死した。

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