趙貴 ( ちょうき )

publish: 2021-05-16, update: 2026-04-19

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?-557年。字は元貴、元宝。天水郡顕親県の人。祖父・趙仁の代に武川鎮に移った。六鎮の乱では葛栄に捕えられたが、葛栄が敗れると、爾朱栄に降って賀抜岳に従った。賀抜岳の死後は残党の収拾に務め宇文泰を迎え入れた。西魏の重鎮。行政に優れた。北周成立時に宇文護の暗殺を謀ったが露見して処刑された。

関連

李雄

274年-334年。巴氐の出身。成漢の創設者。武帝。益州刺史羅尚を撤退させ成都を完全に制圧すると、成都王を称して成漢を成立させた。断続的に東晋と係争し漢中・巴東・寧州を攻略する一方で、前涼の張駿が東晋への臣従を勧めたときには一定の理解を示した。在位は30年に及ぶ。

蕭綱

503年-551年。字は叔達。梁の第2代皇帝。簡文帝。蕭衍の第3子。兄蕭統の死後立太子された。蕭衍の死後、侯景の監視下のもと皇帝に即位した。侯景の傀儡であったが、侯景政権を認めない諸王の反抗に遭った侯景の保身により廃位され殺害された。在位2年。

司馬聃

343年-361年。字は彭子。東晋の第5代皇帝。穆帝。司馬岳の第1子。司馬岳の死後、2歳で即位した。治世は太后の褚蒜子、何充、司馬昱らによって運営された。成漢を併呑し、洛陽を奪還するなど領土の拡大に成功した。若くして病没した。在位17年。

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