劉荘
publish: 2021-12-03, update: 2026-04-19
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28年-75年。明帝。後漢の第2代皇帝。字は子麗。劉秀の子。もとは東海王で正嫡ではなかったが、郭皇后の廃位により劉彊に代わって皇太子となった。外戚である陰氏、馬氏の自制や、積極的な対外政策により、王朝に全盛をもたらした。創業の功臣を賞して雲台二十八将として祭った。
関連
岑彭
?-35年。字は君然。南陽郡棘陽県の人。王莽政権下で棘陽県令を務め、南陽太守の甄阜と共に劉玄、劉縯と戦った。降伏すると義士と評され劉縯に従った。劉縯の死後は朱鮪の属官を経て潁川太守となった。劉秀の攻略に降り朱鮪を説いた。蜀攻略では水軍を率いたが、公孫述の刺客に殺害された。征南大将軍、舞陽侯。
孔融
153年-208年。字は文挙。魯国曲阜県の人。孔宙の子。孔子20世の孫。幼くして李膺に評価された。後漢末期に北海国の相を務めたが、袁紹の伸長に伴い中央へ逃れた。直言を好み、過度な批評は純粋、秋霜と評価される一方で、曹操からは嫌悪され、曹操に対する誹謗中傷の罪で処刑された。
沈田子
383年-418年。字は敬光。呉興郡武康県の人。沈穆夫の子。劉裕が桓玄討伐に挙兵すると従った。北伐に従軍したほか、盧循の乱にも対処して功を挙げた。長安占領時は劉義真の下で王鎮悪と共に防御に当たったが、不信を募らせて王鎮悪を殺害した。まもなく王修に殺害された。