靳準 ( きんじゅん )

publish: 2021-04-25, update: 2026-04-19

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?-318年。匈奴屠各種の出身。3人の娘を皇后に輩出し、外戚として地位を確立した。皇太弟・劉乂など政敵を失脚せしめた。のちに、第4代皇帝・劉粲を殺害し乱を成した。胡人で天子になった者はいないとし、皇帝ではなく天王を称して東晋への従属を図った。劉曜に包囲されて配下に殺害された。

関連

顧愷之

生没年不詳。字は長康。晋陵郡無錫県の人。顧悦之の子。桓温や殷仲堪の属官を務め、晩年は中央に入って散騎常侍となった。多才であり才絶、画絶、癡絶の三絶を備えると云われ、多くの名画を残して画聖と称される。肖像画を得意とし描線の美を知らしめた。真筆は散逸したが模写が傑作と評価されて残る。

姚泓

388年-417年。字は元子。後秦の第3代皇帝。末主。姚興の第1子。弟の姚弼と後継争いのすえ帝位を継ぐが、その後も一族の造反が絶えず、夏や東晋の圧力の前に後秦は一気に衰退した。東晋の王鎮悪の攻撃に降伏し、建康にて処刑された。在位1年。

元欽

525年-554年。西魏の第2代皇帝。廃帝。元宝炬の第1子。元宝炬の死後即位した。宇文泰の殺害を画策し、元育、元賛に諫められるも、露見して廃位された。宇文泰によって雍州に監禁されたのち殺害された。在位3年。

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