劉子業
publish: 2021-08-08, update: 2021-10-25
449年-466年。劉宋の第5代皇帝。前廃帝。劉駿の第1子。劉駿の死後即位した。性は残虐であり、劉義恭、柳元景、顔師伯、劉子鸞、何邁、沈慶之ら一族、重臣を次々と粛清し人望を失った。劉彧の側近である阮佃夫の襲撃を受けて殺害された。在位2年。
関連
劉彧
439年-472年。字は休炳。劉宋の第6代皇帝。明帝。劉義隆の第11子。甥劉子業が暴虐であったため、殺害して皇帝に即位した。しかし世論を得られず反乱が頻発し、北魏の侵攻、財政難、賄賂の横行などに苦慮した。降伏には寛容である一方で多くの皇族を処刑した。在位6年。
鮑照
414年-466年。字は明遠。東海郡襄賁県の人。貧しい家柄に生まれ、臨川王・劉義慶に仕えたほか、臨海王・劉子頊の下で前軍参軍を努めた。劉子頊が反乱すると、混乱のなか殺害された。詩人として高名で、その作風は通俗的と批判される一方で、躍動的にして新奇的であり、後世に大きな影響を残した。
顔延之
384年-456年。字は延年。琅邪郡臨沂県の人。顔顕の子。名門だったが父を早くに亡くし没落した。書物に通じたが、酒癖が悪く、長らく独身だった。晩年の陶潜と交際し、その死を悼んだ。朝廷の権力闘争の中で常に警戒され、数度の左遷と長い謹慎を経た。晩年は、秘書監、光禄勲、太常を歴任した。