顔延之 ( がんえんし )

publish: 2021-08-09, update: 2026-04-19

384年-456年。字は延年。琅邪郡臨沂県の人。顔顕の子。名門だったが父を早くに亡くし没落した。書物に通じたが、酒癖が悪く、長らく独身だった。晩年の陶潜と交際し、その死を悼んだ。朝廷の権力闘争の中で常に警戒され、数度の左遷と長い謹慎を経た。晩年は、秘書監、光禄勲、太常を歴任した。

関連

赫連定

?-432年。夏の第3代皇帝。赫連勃勃の第5子。兄赫連昌が北魏に捕らえられると即位した。残党を糾合して一時は関中やオルドス地方を奪還するが北魏の逆襲を受けて失地回復は成らなかった。北魏に圧されて西秦を滅ぼすが吐谷渾の攻撃により捕縛され北魏に送られて処刑された。

皇甫嵩

?-195年。字は義真。安定郡朝那県の人。孝廉、秀才に挙げられたがいずれも辞退した。霊帝から招聘を受けると出仕し、北地太守を務めた。党錮の禁を解除させたほか、黄巾の乱をはじめ後漢末の反乱収拾に各地を転戦した。董卓とは軋轢が多く、一時は投獄されたが、董卓の死後は車騎将軍、太尉を歴任した。病没。

拓跋普根

?-316年。代の第2代王。拓跋猗㐌の子。父・拓跋猗㐌の死後は中部拓跋部を継いだが、拓跋猗盧が三部を統合するようになるとこれに従った。拓跋猗盧が拓跋六脩に殺されると、拓跋六脩を殺して王位を継いだ。間もなく死去。在位は僅か一ヶ月。跡は子が継いだが名は伝わらない。

page /opt/build/repo/content/dynasties/420_宋/retsuden/456_顔延之.md