顔延之
publish: 2021-08-09, update: 2026-04-19
384年-456年。字は延年。琅邪郡臨沂県の人。顔顕の子。名門だったが父を早くに亡くし没落した。書物に通じたが、酒癖が悪く、長らく独身だった。晩年の陶潜と交際し、その死を悼んだ。朝廷の権力闘争の中で常に警戒され、数度の左遷と長い謹慎を経た。晩年は、秘書監、光禄勲、太常を歴任した。
関連
陽騖
?-367年。字は士秋。右北平郡無終県の人。漢人。陽耽の子。慕容廆の代に多く献策し重用された。遼東郡太守、左長史、司隷校尉を歴任した。輔義将軍として三輔と称され中原進出の中核を担った。尚書令、司空などの顕職を歴任し誤りが無かった。病没。
張邕
?-361年。前涼の右司馬。幼い張玄靚を輔弼したが、やがて宋混が亡くなると、宋澄一族を誅殺して朝廷を壟断した。政治を乱したため、前涼の衰退を加速させた。張天錫と争い、進退に極まり自害した。一族は誅殺された。傲慢な人物と評が残る。
李虎
?-551年。字は文彬。李天錫の子。代郡武川鎮の人。六鎮の乱では賀抜岳に従い、賀抜岳の死後は宇文泰に従った。西魏の武将として各地に従軍し、少保、隴西郡公まで昇る。病没。孫の李淵は唐の皇帝となった。北周から唐国公が贈られ後の唐の国号となった。