慕容宝
publish: 2021-10-16, update: 2026-04-19
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355年-398年。字は道祐。後燕の第2代皇帝。恵愍帝。慕容垂の第4子。参合陂の戦いで大敗し衰亡の端緒を作った。慕容垂の死後一族の内紛を抑えられず、北魏の圧力と南燕の自立により中原を失った。失地回復のため北魏と戦うが敗北し配下の蘭汗に殺害された。在位3年。
関連
蕭宝融
488年-502年。字は智昭。蕭斉の第7代皇帝。和帝。蕭鸞の第8子。人心を失った蕭宝巻打倒を目指す蕭衍に擁立されて皇帝に即位した。蕭衍が蕭宝巻を殺害して建康を平定すると、蕭衍に皇帝の位を譲った。蕭衍により巴陵王に封じられるがまもなく殺害された。在位1年。
高開
?-352年。渤海郡蓨県の人。高瞻の子。父の高瞻は東夷校尉・崔毖に属したが、崔毖が慕容廆に敗れると憂死した。慕容儁の代に仕官し、昌黎郡太守となった。前燕の中原進出に従軍し、慕容恪に献策して不利な前燕軍を立て直した。冉閔との乱戦のなか傷を受け病没した。
沈恪
509年-582年。字は子恭。梁末に蕭暎に仕える。侯景の乱では建康に入城して防戦するが、陥落すると脱出して陳霸先と呼応して挙兵した。陳の将軍職、刺史職を歴任して、侍中まで上った。病没。子の沈法興は隋末の群雄の一人。