李遠 ( りえん )

publish: 2022-02-13, update: 2026-04-19

507年-557年。字は万歳。李文保の子。李賢の弟。李穆の兄。鮮卑拓跋部を出自とするが隴西李氏を称した。爾朱天光、次いで侯莫陳崇の下で従軍し、宇文泰から厚遇されるようになった。宇文泰の側近として昇進を重ね、後嗣問題では宇文覚を支持した。宇文護の専断に反発して子の李植と共に処刑された。

関連

王猛

325年-375年。字は景略。北海郡劇県の人。漢人。貧しい幼少を経て鄴へ遊学した。徐統に取り立てられたが応じず華山へ隠遁した。呂婆楼に推挙されて苻堅に仕え、その様は劉備と諸葛亮に例えられる。内治から前燕攻略まで枢機に携わり丞相まで昇った。病没。武廟六十四将。

楊大眼

?-518年。後仇池の王・楊難当の孫。国内の反乱や梁の国境を転戦した。飛ぶように走るなど身体に優れ、その武勇は関羽や張飛に比肩された。豪傑としての逸話は豊富に残る。文盲だったが記憶力に優れた。鍾離の戦いでは兵卒に降格となったが、後に復職した。

桓温

312年-373年。字は元子。桓彝の子。庾翼の後を継いで西府を統括した。成漢の討伐、中原の回復、大規模な土断に成功して、東晋史上最大級の功を成した。司馬奕を廃して司馬昱を擁立し、簒奪の準備を進めたが、謝安らの反対に遭い禅譲は実現しなかった。病没。

page /opt/build/repo/content/dynasties/535_西魏/retsuden/557_李遠.md