李遠
publish: 2022-02-13, update: 2026-04-19
507年-557年。字は万歳。李文保の子。李賢の弟。李穆の兄。鮮卑拓跋部を出自とするが隴西李氏を称した。爾朱天光、次いで侯莫陳崇の下で従軍し、宇文泰から厚遇されるようになった。宇文泰の側近として昇進を重ね、後嗣問題では宇文覚を支持した。宇文護の専断に反発して子の李植と共に処刑された。
関連
高澄
521年-549年。字は子恵。高歓の子。強い政治力をもって高歓の死後、東魏の実権を掌握したが、梁の降臣・蘭京に殺害された。実権は弟の高洋が継いだ。元善見を狗脚の朕と罵倒した苛烈な性格の持ち主。美男子と評される。
張挙
?-351年。後趙の征北大将軍、太尉を歴任した。李農と親交が厚く、張豺と敵対する李農を逃がした。一貫して後趙の朝廷に従ったが、冉閔が国号を改めると、離反して襄国の石祗を頼った。石祗が冉閔に対して劣勢になると、前燕に援軍を求める使者となったが、石祗の死後、見返りの玉璽が偽物だと露見し処刑された。
苻崇
?-394年。前秦の第6代皇帝。末主。苻登の子。父苻登が戦死すると湟中へ逃れて皇帝に即位した。西秦の乞伏乾帰に攻撃されると仇池の楊定を頼るが敗北、処刑された。建国44年目にして前秦は滅亡した。