石虎 ( せきこ )

publish: 2021-04-26, update: 2021-10-25

王朝

特質

暴虐

章節

hongi

295年-349年。字は季龍。後趙の第3代皇帝。武帝。石勒の甥。暴虐な性格であり石勒が戒めても改まらなかった。石勒の死後、石弘を廃して皇帝に即位した。造反が絶えなかったが、統率力に優れてその都度鎮めた。東晋、前燕と抗争を続け後趙の最盛を築く一方で、過大な支出により経済的な疲弊をもたらした。在位16年。

関連

王朗

生没年不詳。後趙の領軍、車騎将軍を歴任し、石虎に重用された。石虎の死後、後趙が乱れると長安に駐屯し、東晋の北進に備えた。冉閔と敵対し、冉閔に通じた麻秋によって誅殺されかけると、襄国の石祗を頼った。張挙、石琨らと鄴の冉閔を攻撃したが敗北した。前秦に降った後、事跡は不明。

程遐

?-333年。石勒の挙兵に従い、早くから長楽郡太守を務めた。妹が石勒に嫁ぎ石弘を生んだため外戚として昇進した。張賓の死後その重職を継いだが、人格や能力は張賓に及ばなかった。石虎の横暴を度々上奏したが聞き入れられず、石勒の死後、石虎に誅殺された。

張豺

?-349年。西晋末期、中原が乱れると割拠して王浚の傘下に入った。王浚の死後は石勒に帰順し、将軍職に任じられた。石虎の後継に石世を推し、石勒の死後、石世を即位せしめた。劉皇太后と共に政治を牛耳るが、石遵が挙兵すると孤立した。石遵に高位を与えて出迎えたが、捕らえられ処刑された。
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