王朗
publish: 2021-04-26, update: 2026-04-19
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生没年不詳。後趙の領軍、車騎将軍を歴任し、石虎に重用された。石虎の死後、後趙が乱れると長安に駐屯し、東晋の北進に備えた。冉閔と敵対し、冉閔に通じた麻秋によって誅殺されかけると、襄国の石祗を頼った。張挙、石琨らと鄴の冉閔を攻撃したが敗北した。前秦に降った後、事跡は不明。
関連
劉曜
?-329年。字は永明。前趙の第5代皇帝。靳準が乱を起こすと皇帝に即位し乱を鎮めた。石勒の離反を始め頻発する反乱に対処するが、洛陽における後趙との戦いで捕縛される。石勒から降伏勧告を命じられるも、社稷を維持せよと勅書したため石勒に処刑された。在位10年。
劉牢之
?-402年。字は道堅。劉建の子。前漢の楚元王・劉交の末裔。謝玄に招聘されて北府軍を率いて前秦と戦った。謝玄の死後は北府を引き継いだ王恭の配下となった。軍事を取っては常勝であったが政略は皆無であり、王恭、司馬元顕、桓玄を裏切り、最後は人望を失って憂憤のうちに自害した。
李班
288年-334年。成漢の第2代皇帝。哀帝。李雄の兄李蕩の子。時の皇帝李雄の甥であったが、李雄は兄李蕩こそが正当な継承者と考えていたため立太子される。李雄の死後その後を継ぐが、皇位継承に不満を持った李雄の子李越に暗殺される。在位は1年に満たない。