王朗 ( おうろう )

publish: 2021-04-26, update: 2026-04-19

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生没年不詳。後趙の領軍、車騎将軍を歴任し、石虎に重用された。石虎の死後、後趙が乱れると長安に駐屯し、東晋の北進に備えた。冉閔と敵対し、冉閔に通じた麻秋によって誅殺されかけると、襄国の石祗を頼った。張挙、石琨らと鄴の冉閔を攻撃したが敗北した。前秦に降った後、事跡は不明。

関連

司馬子如

489年-553年。字は遵業。司馬興龍の子。西晋の南陽王・司馬模の末裔。若くして高歓と交友を結び、爾朱栄に属した。高歓による実権掌握後は、度々免官されるもその都度復帰して顕職を歴任した。北魏、東魏、北斉の3朝に仕えた。病没。四貴の一人。

苻健

317年-355年。字は建業。前秦の初代皇帝。景明帝。苻洪の三男。後趙に従ったが石虎の死後、後趙が乱れると長安を攻略し自立した。始め東晋に従属するもまもなく皇帝に即位した。桓温の北伐を撃退し関中の統治を確立した。病のため死去。在位4年。

拓跋猗㐌

267年-305年。鮮卑族の中部拓跋部の大人。拓跋沙漠汗の子。叔父の拓跋禄官が拓跋部を三分割すると中部を統治した。北方の諸族を攻略したほか、西晋と結んで勃興した前趙と戦った。大柄で馬が潰れるため牛車に乗っていた。

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