王朗 ( おうろう )

publish: 2021-04-26, update: 2026-04-19

章節

標籤

生没年不詳。後趙の領軍、車騎将軍を歴任し、石虎に重用された。石虎の死後、後趙が乱れると長安に駐屯し、東晋の北進に備えた。冉閔と敵対し、冉閔に通じた麻秋によって誅殺されかけると、襄国の石祗を頼った。張挙、石琨らと鄴の冉閔を攻撃したが敗北した。前秦に降った後、事跡は不明。

関連

宇文泰

505年-556年。字は黒獺。匈奴宇文部の人。武川鎮出身。六鎮の乱では鮮于修礼に属するが、鮮于修礼が敗北すると、爾朱栄の部将であった賀抜岳に従った。賀抜岳が高歓に殺されると実権を掌握して元脩を迎えた。周礼を基礎とする制度改革と鮮卑復古を推進し、北周の基盤を作った。病没。

宇文贇

559年-580年。北周の第4代皇帝。宣帝。宇文邕の第1子。宇文邕の死後即位する。皇太子時代から資質を疑問視され宇文邕から厳しく教育されたが改善されなかった。在位1年足らずで子の宇文闡に譲位した。政治への興味がなく朝廷を楊堅に一任し、北周滅亡の要因を作った。

慕容麟

?-398年。後燕の趙王。慕容垂の庶子。参合陂の戦いでは配下の慕輿嵩が擁立騒ぎを起こすなど、敗北の一因を作った。中山にて反乱を起こすが失敗して太行山に逃れ、慕容詳の悪政を機会にして慕容詳を攻め自ら即位した。北魏に攻められると鄴の慕容徳を頼った。後に造反し慕容徳に処刑された。

page /opt/build/repo/content/dynasties/319_後趙/retsuden/王朗.md