程遐
publish: 2021-04-26, update: 2026-04-19
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?-333年。石勒の挙兵に従い、早くから長楽郡太守を務めた。妹が石勒に嫁ぎ石弘を生んだため外戚として昇進した。張賓の死後その重職を継いだが、人格や能力は張賓に及ばなかった。石虎の横暴を度々上奏したが聞き入れられず、石勒の死後、石虎に誅殺された。
関連
徐羨之
364年-426年。字は宗文。東海郡郯県の人。徐祚之の子。東晋の太子少傅の主簿を務め、桓玄が楚を興すと劉裕の挙兵に従った。劉裕の死に際し傅亮、謝晦、檀道済と共に劉義符の補佐を遺言された。劉義符の廃位を進め劉義隆を即位させた。やがて専横が目立つようになり、劉義符殺害の罪を問われて自害した。
侯莫陳順
?-557年。代郡武川鎮の人。侯莫陳興の子。侯莫陳崇の兄。爾朱栄、次いで賀抜勝に従った。北魏末の反乱に従軍して栄転した。孝武帝・元脩に従って関中に入り、同郷の宇文泰から歓迎された。東魏戦線で活躍したほか、氐の反乱鎮圧では離間を行うなど知略にも優れた。
孫騰
481年-548年。字は龍雀。孫機の子。爾朱栄および高歓に従った。高歓に元朗を擁立するよう勧めた。主に高歓の後背を守った。高歓の信任を得て顕職に昇る一方で、素行の悪さを高歓にしばしば譴責された。病没。四貴の一人。