司馬徳文
publish: 2021-04-25, update: 2026-04-19
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386年-421年。字は徳文。東晋の第11代皇帝。恭帝。司馬曜の第2子。兄司馬徳宗に対する劉裕の害意を察知したが防げなかった。司馬徳宗の死後劉裕に擁立されて即位するが、劉裕による禅譲の布石であり禅譲の余儀は無かった。宋によって零陵王に封じられたが翌年殺害された。
関連
王叡
?-189年。字は通耀。琅邪郡臨沂県の人。琅邪王氏。後漢末期に荊州刺史を務めた。孫堅と共に荊州南部の反乱を鎮圧した。反董卓の動きが起こると不仲だった武陵太守・曹寅の殺害を図ったが、察知した曹寅に罪を偽造され檄文に応じた孫堅に攻められた。自害。
王渾
223年-297年。字は玄沖。并州太原郡晋陽県の人。王昶の子。京陵侯を継承したが曹爽の失脚で免官となった。懐県県令として復帰以後は累進し豫州刺史、豫州諸軍事となった。呉征伐では一軍を率いて南進し、功は王濬と双璧を成した。晩年は兵権を返上し顕職を歴任しては名声を落とした。
沈恪
509年-582年。字は子恭。梁末に蕭暎に仕える。侯景の乱では建康に入城して防戦するが、陥落すると脱出して陳霸先と呼応して挙兵した。陳の将軍職、刺史職を歴任して、侍中まで上った。病没。子の沈法興は隋末の群雄の一人。