司馬奕
publish: 2021-04-25, update: 2026-04-19
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342年-386年。字は延齢。東晋の第7代皇帝。廃帝。司馬衍の第2子。兄司馬丕の死後即位する。失政によってその勢力を弱体化させつつあった桓温に簒奪を謀られ、廃位されて海西公に降格された。その後は朝廷からの警戒をそらし続けた。病没。在位7年。
関連
邳彤
?-30年。字は偉君。信都郡信都県の人。王莽政権では和成郡太守を務め、劉秀が平定に入るとそのまま留任した。王郎の挙兵に靡かず一貫して劉秀を支援した。劉秀が信都郡に入ったとき長安へ帰還する案が多数を占めるなか、王郎を討って河北を平定する利を説いた。太常、霊寿侯。
慕容瑤
?-386年。西燕の第4代皇帝。慕容沖の子。東進した慕容凱が臨晋県で殺害されると、慕容恒に擁立された。建平と改元するも、まもなく慕容永に殺害された。
慕容沖
359年-386年。西燕の初代皇帝。慕容儁の子。前燕の中山王。慕容恪死後の大司馬を後任した。慕容垂の挙兵に応じて河東にて挙兵するも、竇衝に敗れて慕容泓と合流した。慕容泓を殺害した高蓋らに皇太弟として擁立された。慕容暐が処刑されると皇帝に即位した。帰郷しようとする鮮卑諸族を統制できず左将軍・韓延に殺害された。