慕容廆
publish: 2021-07-29, update: 2026-04-19
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269年-333年。慕容渉帰の子。慕容吐谷渾の弟。前燕の基盤を築いた。元来西晋に帰属していたが国勢を年々弱める西晋に変わって遼西・遼東の統治体制を確立させた。引き続き東晋に臣従し遼東公に封じられた。病没。鮮卑慕容部の大人としての在位は49年。
関連
麻秋
?-350年。胡人。後趙の武人で特に石虎に重用された。苻洪の反乱や、段遼ら鮮卑の侵攻、前燕、前涼の圧力に対して歴戦した。石虎の死後は冉閔に従い、王朗を攻撃して逃走せしめた。自立した苻洪に敗れて降伏するも、その勢力を奪わんとして苻洪を毒殺した。苻健によって処刑された。
石虎
295年-349年。字は季龍。後趙の第3代皇帝。武帝。石勒の甥。暴虐な性格であり石勒が戒めても改まらなかった。石勒の死後、石弘を廃して皇帝に即位した。造反が絶えなかったが、統率力に優れてその都度鎮めた。東晋、前燕と抗争を続け後趙の最盛を築く一方で、過大な支出により経済的な疲弊をもたらした。在位16年。
葛栄
?-528年。懐朔鎮の鎮将。六鎮の乱に際して定州を拠点に反乱した鮮于修礼に従い、鮮于修礼の死後はその反乱軍を掌握した。柔玄鎮の杜洛周らを併呑して強勢を誇ったが、高歓らの離脱と重なって爾朱栄に敗北し、捕らわれて処刑された。六鎮の乱における組織立った最後の指導者。