拓跋紇那 ( たくばつこつな )

publish: 2021-10-12, update: 2026-04-19

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生没年不詳。代の第6代、および第8代王。拓跋猗㐌の子。兄の死後跡を継いだ。後趙の攻撃で不利となり本拠を東木根山から大寧に移すなど勢威を落した。拓跋鬱律の子・拓跋翳槐と王位を巡り、宇文部や賀蘭部を巻き込んで争った。前燕へ亡命した後の事跡は不明。

関連

庾信

513年-581年。字は子山。庾肩吾の子。徐摛、徐陵親子と共に詩文に長けて、その詩は徐庾体と称された。侯景の乱が起こると江陵へ逃げるが、西魏の攻撃で江陵が陥落すると、多くの官民と共に長安へ拉致された。長安に抑留されつつも文人として活躍し、江南を哀惜する名作を残した。

張駿

307年-346年。字は公庭。前涼の第4代君主。文公。張寔の子。張茂の跡を継ぐ。このとき前涼は東晋と前趙の両国に臣従していたが、前趙が後趙に対して劣勢になると前趙から受けた官爵を廃した。涼州・河州・沙州を定め前涼の最盛期を現出した。病により死去。在位22年。

傅俊

? - 31年。字は子衛。潁川郡襄城県の人。王莽政権で襄城の亭長を務め、劉秀を迎えて校尉となった。このとき母と弟を失い昆陽の戦い以後、服喪のため帰郷した。河北攻略中に邯鄲で合流した。劉秀の皇帝即位時には陰麗華を迎える使者となった。積弩将軍、昆陽侯。

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