拓跋紇那 ( たくばつこつな )

publish: 2021-10-12, update: 2026-04-19

章節

標籤

生没年不詳。代の第6代、および第8代王。拓跋猗㐌の子。兄の死後跡を継いだ。後趙の攻撃で不利となり本拠を東木根山から大寧に移すなど勢威を落した。拓跋鬱律の子・拓跋翳槐と王位を巡り、宇文部や賀蘭部を巻き込んで争った。前燕へ亡命した後の事跡は不明。

関連

孔融

153年-208年。字は文挙。魯国曲阜県の人。孔宙の子。孔子20世の孫。幼くして李膺に評価された。後漢末期に北海国の相を務めたが、袁紹の伸長に伴い中央へ逃れた。直言を好み、過度な批評は純粋、秋霜と評価される一方で、曹操からは嫌悪され、曹操に対する誹謗中傷の罪で処刑された。

慕容宝

355年-398年。字は道祐。後燕の第2代皇帝。恵愍帝。慕容垂の第4子。参合陂の戦いで大敗し衰亡の端緒を作った。慕容垂の死後一族の内紛を抑えられず、北魏の圧力と南燕の自立により中原を失った。失地回復のため北魏と戦うが敗北し配下の蘭汗に殺害された。在位3年。

劉荘

28年-75年。明帝。後漢の第2代皇帝。字は子麗。劉秀の子。もとは東海王で正嫡ではなかったが、郭皇后の廃位により劉彊に代わって皇太子となった。外戚である陰氏、馬氏の自制や、積極的な対外政策により、王朝に全盛をもたらした。創業の功臣を賞して雲台二十八将として祭った。

/opt/build/repo/content/dynasties/315_代/hongi/6_8_拓跋紇那.md