裴嶷
publish: 2022-02-07, update: 2026-04-19
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生没年不詳。字は文冀。河東郡聞喜県の人。西晋で中書侍郎となり昌黎郡太守として遼東に赴任した。兄の死後、中央に召還されて遼西を通過したとき、慕容廆に礼遇されて以後、慕容廆に仕えた。慕容廆からは天が君を下賜したと言わしめて絶大な信任を得た。手腕は謀略、政治の広範におよび、前燕の基盤確立に貢献した。
関連
趙廞
?-301年。字は叔和。祖先は張魯に従ったが、張魯が曹操に降伏してから趙に移った。県令、郡太守を歴任して司馬倫からの評価を得、益州刺史、大長秋まで昇った。賈氏が誅殺されると婚姻関係にあった自らの立場を危ぶみ、李特ら流民を私兵として益州の占有を図った。配下の鎮撫に失敗し李特の攻撃を受け横死した。
劉淵
?-310年。字は元海。前趙の創建者。光文帝。南匈奴の出身。於夫羅の孫、劉豹の子。司馬昭に厚遇を受けるも罪の連座により罷免される。司馬穎より招聘を受けて復職したのち独立して前趙を建てた。八王の乱で混乱する西晋の中原一帯を圧迫し続けた。病没。在位6年。
王鎮悪
373年-418年。北海郡劇県の人。王猛の孫。王休の子。前秦が崩壊して関中が混乱すると、叔父の王曜に従って東晋へ亡命した。武芸は不得意だったが学問には優れ、推薦を受けて劉裕に仕えた。劉裕の北伐に大きく貢献した。沈田子の救援に譴責をもって応えたため、沈田子の不信を買って殺害された。