拓跋濬
publish: 2021-08-07, update: 2026-04-19
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440年-465年。北魏の第4代皇帝。文成帝。拓跋燾の子拓跋晃の第1子。宗愛が拓跋燾、拓跋翰、拓跋余を相次いで弑逆すると、これに対抗した陸麗、劉尼、源賀によって擁立された。内政に力を注ぎ国力の拡充を図った。仏教弾圧を廃止し雲崗石窟を造営した。在位13年。
関連
張玄靚
350年-363年。字は元安。前涼の第8代君主。沖公。張重華の末子。張祚が殺害されると宋混らに擁立される。幼年で跡を継いだため張瓘、宋混、張邕、張天錫と摂政を巡って権臣たちの勢力争いが続いた。最後は張天錫によって殺害された。在位9年。
解思明
?-345年。出自は不明。李寿の長史に任じられた。李寿が皇帝・李期と対立すると羅恒とともに謀り、成都を占拠して李期を廃し東晋に従属することを進言した。李寿の死後、李勢の後継として皇太弟を立てることを求めたため、李勢の怒りを買って処刑された。諫臣。
張瓘
?-359年。宗族だが系譜は不明。張駿の代に、寧戎校尉、河州刺史を歴任して強勢を作った。張祚討伐のための挙兵を成功させ、張玄靚の輔弼の筆頭となった。宋混を恐れて誅殺しようとしたが、事前に察知した宋混の攻撃を受け、自害した。猜疑心が強く、苛虐であった。