拓跋什翼犍
publish: 2021-10-12, update: 2026-04-19
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318年-376年。代の第10代王。拓跋鬱律の子。拓跋翳槐の弟。若年を後趙の人質として襄国、鄴で過ごした。在位は38年の長期にわたり、安定した治世は代の最盛期を作った。後趙、前燕の滅亡時はいずれも南進しなかった。前秦の攻勢が強まると病により諸族の統率が弱まり、拓跋斤に唆された拓跋寔君に殺害された。
関連
王聖
生没年不詳。安帝・劉祜の乳母。鄧氏一族が政権を運営するとこれに不満を持ち、鄧綏の兄・鄧悝が平原王・劉翼の擁立を画策していると誣告し、劉翼の都郷侯降格へとつながった。野王君に封じられて江京、樊豊、王伯栄とともに恣肆暴虐と評された。閻氏一族の権力掌握により失脚し雁門郡へ流刑された。
裴叔業
438年-500年。裴順宗の子。裴潜の弟・裴徽の末裔。宋の時代に軍人として累進し、蕭道成の配下となった。蕭鸞と親しく信任されて北魏戦線を転戦したが、その死後、反乱を疑われて崔慧景、蕭懿らの討伐を受けた。北魏に救援を求めるも、間もなく病没した。
王曇首
394年-430年。字は子陵。琅邪郡臨沂県の人。王珣の子。劉義隆に仕えて属官として昇進し、劉義隆の即位に伴って中央に入り、侍中、驍騎将軍を務めた。王華らと共に劉義隆政権の確立に務め、その功は多大であった。兄・王弘が劉義康から妬まれたとき、兵を分配することを勧めた。