蕭琮
publish: 2021-11-03, update: 2026-04-19
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生没年不詳。字は温文。後梁の第3代皇帝。後主。蕭巋の第1子。父蕭巋の死後即位した。陳への侵攻を前に後梁の監視体制を強化する楊堅によって長安に呼び出され、本国は次第に換骨奪胎された。後梁が併合された後も重用され梁公に封じられるが、後に楊広の猜疑を受けて病没した。
関連
陳琳
?-217年。字は孔璋。広陵郡射陽県の人。何進の主簿を務めた。何進が各地の将軍を召集したとき反対した。何進の死後は冀州に逃れて袁紹に仕えた。官渡の戦いを前にして曹操を中傷する檄文を書いた。後に檄文は蕭統が編纂した『文選』に名文として収められた。病没。
高澄
521年-549年。字は子恵。高歓の子。強い政治力をもって高歓の死後、東魏の実権を掌握したが、梁の降臣・蘭京に殺害された。実権は弟の高洋が継いだ。元善見を狗脚の朕と罵倒した苛烈な性格の持ち主。美男子と評される。
王濬
206年-285年。字は士治。司隸弘農郡湖県の人。武廟六十四将の一人。羊祜の厚遇を受けて巴郡太守、広漢太守を経て益州刺史を務めた。呉征伐では水軍編制を急進し、長江を降って建業を攻めた。征呉の功を巡って王渾と対立したが、鄧艾の轍を恐れて身を引いた。