蕭宝融 ( しょうほうゆう )

publish: 2021-08-09, update: 2026-08-22

488年-502年。字は智昭。蕭斉の第7代皇帝。和帝。蕭鸞の第8子。人心を失った蕭宝巻打倒を目指す蕭衍に擁立されて皇帝に即位した。蕭衍が蕭宝巻を殺害して建康を平定すると、蕭衍に皇帝の位を譲った。蕭衍により巴陵王に封じられるがまもなく殺害された。在位1年。

関連

呉明徹

512年-578年。字は通昭。呉樹の子。梁に仕えて各武官職、刺史を歴任した。侯景の乱では陳霸先の信用を得て、陳の建国後さらに累進した。北伐を行い淮南を回復するが、三度に渡る呂梁の戦いの結果、北周に敗れて捕縛され、長安へ連行された。長安にて病没。

賈充

217年-282年。字は公閭。賈逵の子。賈南風の父。曹爽の失脚後、司馬氏に取り立てられた。曹髦殺害を指揮して罪に問われなかったように、司馬氏の腹心として絶大な信任を得た。派閥を好み、人事評価は好悪が先んじた。西晋建国の功臣として筆頭に挙がる。病没。

沮渠蒙遜

?-447年。北涼の第3代王。哀王。沮渠蒙遜の第3子。沮渠蒙遜が病に倒れたとき世子で弟の沮渠菩提が幼いため立太子された。北魏と婚姻外交を行ったが、拓跋燾の妹である皇后武威公主が毒殺されると北魏の侵攻を受け捕らわれた。助命されるが財産隠匿の罪で処刑された。

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