劉子鸞
publish: 2021-08-08, update: 2026-04-19
章節
標籤
456年-465年。字は孝羽。劉駿の子。始平王。襄陽王、新安王から改封された。呉郡太守、南徐州刺史、司徒、中書令などの重職を兼任した。幼少にしてこの待遇であり、常々嫉視していた兄・劉子業から賜死を受けた。死に臨んで再び皇族には生まれたくないと言葉を残した。
関連
袁安
?-92年。字は召公。汝南郡汝陽県の人。袁良の孫。県の吏人を務め、孝廉に挙げられた。県令から太守へと着実に昇進し、優れた行政を評価されて太僕へ栄転、以後、司空、司徒を歴任した。外戚の竇氏を弾劾し、清流派の立場を確立してなお失脚せずに現職であり続けた。
劉桃枝
生没年不詳。出自は不明で奴隷とされる。高歓以来、北斉の歴代君主に仕えて、時の権力者の汚れ役、実行役として多くの重臣、皇族を処刑した。高徳政、高浚、高渙、高叡、高帰彦、高儼、斛律光と名だたる人物を殺害しながら保身に優れ、北斉の苛烈な権力闘争を全うした。北斉滅亡後の事跡は無い。
王雄
507年-564年。字は胡布頭。太原郡の人。王崙の子。太原王氏を称するがその字から自称と考えられる。賀抜岳に従って関中に入り、梁領である漢中方面を攻略した。宇文護の下で北斉を攻めたとき、斛律光の矢が当たったとされ、陣没した。庸国公。