馮異 ( ふうい )

publish: 2021-08-12, update: 2026-04-19

?-34年。字は公孫。潁川郡父城県の人。王莽政権下で潁川太守を務め、潁川郡を攻略する劉秀に降伏した。優れた戦略家であり、各地を転戦して負けることがなかった。功績を誇らない姿を大樹将軍と称賛された。河北で劉秀一行が逃避行したとき、豆粥や麦飯を調達したため、劉秀はこれを生涯忘れなかった。征西大将軍、陽夏侯。

関連

劉準

469年-479年。字は仲謀。劉宋の第8代皇帝。順帝。劉彧の第3子。兄劉昱が蕭道成に殺害されると蕭道成によって擁立された。沈攸之、袁粲は蕭道成打倒に挙兵するが、いずれも鎮圧された。蕭道成に禅譲を迫られ汝陰王に降格された。後に殺害された。在位2年。

陳頊

530年-582年。字は紹世。陳の第4代皇帝。宣帝。陳霸先の兄陳道談の第2子。陳蒨の死去にあたって劉師知や到仲挙らとともに陳伯宗の補佐を託されるが、劉師知や到仲挙を排除して陳伯宗を廃位し、皇帝に即位した。内政に力を注いだが、北斉を滅ぼした北周に圧迫された。在位13年。

達奚武

504年-570年。字は成興。代郡の人。達奚長の子。汧城鎮の生まれで北鎮の乱が起こると賀抜岳の部将となった。賀抜岳が侯莫陳悦に殺されると宇文泰に従い官爵を進めた。東魏戦線のほか南征を行って梁の漢中を攻略するなど、長らく軍務を務めて功績を挙げ続けた。北周成立後も太傅まで昇った。

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