段業
publish: 2026-09-09, update: 2026-09-09
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?-401年。北涼の初代王。文王。漢人。後涼の建康太守。沮渠蒙遜に擁立されて反乱を起こし後涼から自立した。後涼と争い河西西部を支配した。実権を握る沮渠蒙遜を除こうとするが、逆に沮渠蒙遜に討たれた。
関連
高叡
534年-569年。小名は須抜。趙郡王。渤海郡蓨県の人。高琛の子。父が若くして処刑されたため、高歓に引き取られて父の爵位を継いだ。刺史を歴任して農業、養蚕の振興や長城の修築を行って評価された。兵の監督にも優れて人望を集め、軍の統御に卒がなかった。和士開を弾劾して不興を買い、劉桃枝に殺害された。
慕容恪
?-367年。字は元恭。慕容皝の第4子。後趙、宇文部、高句麗を相手に多くの戦線に従軍した。後趙滅亡を機に中原へ進出し版図を広げた。治政にも優れ前燕の最盛期を築いた。病没。当代随一の宰相、将軍として歴史に残る。武廟六十四将に数えられる。
閻式
?-309年。天水郡の人。閻彧とも。李特たちが難民を連れて益州へ移るとこれに従った。益州刺史として羅尚が着任すると李特の使者として度々往来し、難民側の主張を羅尚に伝える一方で、羅尚から李特への懐柔の窓口となった。李雄の代に尚書令まで昇るが、配下の訇琦、張金苟に殺害された。