陳俊
publish: 2021-08-16, update: 2026-04-19
?-47年。字は子昭。南陽郡西鄂県の人。劉嘉の長史となったが、劉嘉の薦めで劉秀の安集掾となった。各地の農民反乱の鎮圧に働いたほか、董憲や張歩を討伐した。泰山太守、琅邪太守として山東の鎮撫に大きく貢献した。琅邪太守、祝阿侯。
関連
陽騖
?-367年。字は士秋。右北平郡無終県の人。漢人。陽耽の子。慕容廆の代に多く献策し重用された。遼東郡太守、左長史、司隷校尉を歴任した。輔義将軍として三輔と称され中原進出の中核を担った。尚書令、司空などの顕職を歴任し誤りが無かった。病没。
石世
339年-349年。字は元安。後趙の第4代皇帝。廃帝。石虎の子。皇太子石宣が誅殺されると代わりに皇太子に立てられる。石虎の死後僅か11歳ながら皇帝に即位するも、帝位簒奪を目論む石遵により廃された。まもなく殺害された。在位33日。
陳元達
?-316年。字は長宏。匈奴後部の出身。元の名は高元達。長らく仕官せず学問に傾倒して漢文化に詳しかった。顕職を望まず諫言を行い、劉淵から優遇された。劉聡の堕落とともに疎まれるようになり、太宰・劉易の憤死を知ると、前趙の将来に絶望して自害した。