陳俊
publish: 2021-08-16, update: 2026-04-19
?-47年。字は子昭。南陽郡西鄂県の人。劉嘉の長史となったが、劉嘉の薦めで劉秀の安集掾となった。各地の農民反乱の鎮圧に働いたほか、董憲や張歩を討伐した。泰山太守、琅邪太守として山東の鎮撫に大きく貢献した。琅邪太守、祝阿侯。
関連
楊逸
500年-531年。字は遵道。弘農郡華陰県の人。楊津の子。河陰の変では爾朱栄に従い、孝荘帝・元子攸を河陽に迎えた。元子攸が爾朱栄を粛清すると活路を一族で協議したが、爾朱仲遠の使者により殺害された。行政に優れてその慧眼を千里眼と畏敬され、成語としての千里眼の語源となった。
杜茂
? - 43年。字は諸公。南陽郡冠軍県の人。劉秀が河北を攻略するなか合流した。北方に割拠した盧芳の対応に当たり、馬成が後任するまで長らく匈奴の侵入に備えた。横領、殺人教唆で免官、減俸を受けた。驃騎大将軍、参蘧侯。
拓跋寔君
生没年不詳。拓跋什翼犍の庶長子。庶子という不安定な立場を拓跋斤に唆され、前秦に対して敗色が濃厚になりつつあった混乱を利用して拓跋什翼犍を殺害した。その後、前秦勝利の大勢は変わらず、捕縛され長安にて処刑された。代の領土は東西に分割され匈奴の鉄弗部と独孤部によって統治された。