李績 ( りせき )

publish: 2021-07-29, update: 2026-04-19

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生没年不詳。字は伯陽。范陽郡の人。李産の子。後趙の范陽郡功曹を務めた。後趙が混乱すると自立した王午に従い主簿となった。父・李産は既に前燕に降伏しており、節義を重んじた王午によって郷里に返され慕容儁に仕えた。昇進を重ねたが、慕容暐の不興を買って章武郡太守に左遷された。

関連

桓玄

369年-404年。字は敬道。桓温の庶子、末子。司馬道子が専横すると、王恭、殷仲堪に呼応して挙兵した。挙兵は失敗するも自身は西府軍団の掌握に成功した。孫恩の乱では鎮圧を通して司馬元顕、劉牢之を除き、朝廷を掌握した。司馬徳宗を廃して皇帝を称し国号を楚とするが、劉裕の攻撃を受けて逃亡中に殺害された。

王猛

325年-375年。字は景略。北海郡劇県の人。漢人。貧しい幼少を経て鄴へ遊学した。徐統に取り立てられたが応じず華山へ隠遁した。呂婆楼に推挙されて苻堅に仕え、その様は劉備と諸葛亮に例えられる。内治から前燕攻略まで枢機に携わり丞相まで昇った。病没。武廟六十四将。

庾亮

289年-340年。字は元規。庾琛の子。永嘉の乱を江南に逃れ司馬睿が赴任すると王敦の推挙で任官した。王導の融和政策とは対称に法治政策をとり、蘇峻の乱を招いた。温嶠、陶侃の支持を得て蘇峻を滅ぼした。陶侃の死後、荊州刺史として西府軍団を後継した。病没。

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