陳元康 ( ちんげんこう )

publish: 2022-03-08, update: 2022-03-08

王朝

章節

retsuden

507年-549年。字は長猷。広宗郡の人。陳終徳の子。北鎮の乱で陳留公・李崇に従って北伐し爵位を受けた。性は柔和で事務に優れ、慣例に長けたため高歓の重用を受けた。多くの献言を行った一方で貪欲とも評される。高澄による禅譲の密議をする最中、蘭京の襲撃に遭い高澄を庇って殺害された。

関連

畢義雲

生没年不詳。代々刺史職を務め、施しをもって困窮者を救ったが、元来の性は豪縦であり、羊烈や宋遊道から誹られた。倫理に欠如しており、乱れた性生活、散財、過度な懲罰は朝野の知るところとなり、あるとき突然、怪死した。蘭子暢の捜査によれば犯人はその遺留物から庶子の畢善昭とされる。

高粛

541年-573年。字は長恭。蘭陵王。高澄の第4子。若くして都督并州諸軍事と并州刺史を兼任し、突厥や北周を相手に歴戦したが、その威名を恐れた高緯から毒薬を賜り自殺した。勇猛さは『蘭陵王入陣曲』として残り、美貌と悲劇的末路から伝説となった。高長恭の名で知られる。

祖珽

生没年不詳。字は孝徴。范陽郡遒県の人。祖瑩の子。范陽祖氏の出身で、勲貴や恩倖と権力を争った典型的な漢人系名族。和士開と争って入獄し、失明してなお権力への情熱を失わなかった。勲貴の斛律光を失脚させたほか、過度な権力闘争により北斉を衰退させた。北徐州刺史に左遷され任地にて没した。
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