鄧羌 ( とうきょう )

publish: 2022-03-27, update: 2022-03-28

王朝

章節

retsuden

生没年不詳。安定郡の人。前秦に仕官して苻生の治世に将軍となった。姚襄を敗死せしめ、張蚝、劉衛辰を捕縛した知勇兼備の将で、苻堅に近侍して万人の敵と評された。清廉で法整備に明るく御史中丞として綱紀粛正に貢献したほか、その剛直な性により苻生や王猛へも諫言した。

代の滅亡後、并州刺史を最後に事績は途絶え、前後に没したと考えられる。

関連

梁平老

?-372年。略陽郡の人。氐族。苻堅に早くから使えて昇進し、苻生の代では特進、領御史中丞になった。苻生の暴虐のために政変に加担した。使持節、都督北藩諸軍事、鎮北大将軍として長らく北方を治めた。病没。

呂婆楼

生没年不詳。字は広平。略陽郡の人。苻健が後趙から独立すると従った。侍中、尚書など高官を歴任した。苻堅の政変で王猛を推挙し、苻生の殺害に関わった。王猛、強汪、梁平老と共に王佐の才と評された。後涼の呂光は子にあたる。

李威

?-374年。字は伯龍。漢陽郡の人。苻雄の后・苟氏の従弟にあたり寵遇された。苻生の謀殺、苻法の賜死に関った。王猛を推挙した一人であり、苻堅には管仲を知る鮑叔牙と例えられた。太尉、侍中まで昇る。苟氏と私通した記録が残る。
Page(/retsuden/351_前秦/鄧羌.md)