梁平老
publish: 2021-10-13, update: 2026-04-19
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?-372年。略陽郡の人。氐族。苻堅に早くから使えて昇進し、苻生の代では特進、領御史中丞になった。苻生の暴虐のために政変に加担した。使持節、都督北藩諸軍事、鎮北大将軍として長らく北方を治めた。病没。
関連
沮渠牧犍
368年-433年。北涼の第2代王。実質的な創建者。武宣王。盧水胡匈奴の出身。後涼に従うが、西秦討伐の失敗により一族が誅殺されると段業を擁立して挙兵した。後に対立した段業を討って北涼を支配した。後涼、西涼、南涼、後秦、西秦、北魏と抗争した。病没。在位32年。
劉裕
363年-422年。字は徳輿。劉宋の初代皇帝。武帝。劉翹の子。劉牢之に従い軍功を重ねた。劉牢之が失脚すると桓玄に属したが、桓玄が司馬徳宗を廃して皇帝を自称すると、劉毅・諸葛長民らと反乱した。桓玄を討って司馬徳宗を復位させるが、後に自ら皇帝となり宋を建国した。在位2年。
鄧禹
2年-58年。字は仲華。南陽郡新野県の人。雲台二十八将の筆頭。長安留学中に劉秀の知遇を得た。劉秀が河北へ向かうとこれを追って鄴で合流した。大略を見極め人材輩出に異能を示した。劉秀にとってその大器は貴重なもので、関中遠征など多くの大任を授けられた。太傅、高密侯。