鄧禹 ( とうう )

publish: 2021-08-12, update: 2026-04-19

2年-58年。字は仲華。南陽郡新野県の人。雲台二十八将の筆頭。長安留学中に劉秀の知遇を得た。劉秀が河北へ向かうとこれを追って鄴で合流した。大略を見極め人材輩出に異能を示した。劉秀にとってその大器は貴重なもので、関中遠征など多くの大任を授けられた。太傅、高密侯。

子孫には二人の皇后を出し、三国時代の鄧芝は末裔に当たる。

関連

王覇

?-59年。字は元伯。潁川郡潁陽県の人。元は獄吏だった。劉秀が潁川に至って以来その創業に参加した。河北平定では、進退窮まった一行に虖池河が凍り付いて渡河が可能であると偽りの報告をし、事実凍っていたため活路を見出した逸話がある。河北の苦難から「疾風、勁草を知る」と劉秀に評された。杜茂、馬成とともに長らく北辺に鎮した。上谷太守、淮陵侯。

張耀霊

343年-355年。字は元舒。前涼の第6代君主。哀公。張重華の次男。張重華が病を患うと10歳で世子に立てられる。張重華は謝艾に後見を任せようとしたが、遺詔は捏造され張祚に摂政が委ねられた。幼年を理由に張祚に廃され復位の兆しが出ると殺害された。

任光

?-29年。字は伯卿。南陽郡宛県の人。宛の吏人であり劉玄の挙兵による混乱で殺されそうになるが、劉賜に助けられ従った。信都郡太守となり、王郎が挙兵した際その使者を斬って李忠、萬脩とともに立て籠った。薊県から逃れた劉秀を迎え河北攻略の拠点となった。信都太守、阿陵侯。

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