鄧禹 ( とうう )

publish: 2021-08-12, update: 2026-04-19

2年-58年。字は仲華。南陽郡新野県の人。雲台二十八将の筆頭。長安留学中に劉秀の知遇を得た。劉秀が河北へ向かうとこれを追って鄴で合流した。大略を見極め人材輩出に異能を示した。劉秀にとってその大器は貴重なもので、関中遠征など多くの大任を授けられた。太傅、高密侯。

子孫には二人の皇后を出し、三国時代の鄧芝は末裔に当たる。

関連

張玄靚

350年-363年。字は元安。前涼の第8代君主。沖公。張重華の末子。張祚が殺害されると宋混らに擁立される。幼年で跡を継いだため張瓘、宋混、張邕、張天錫と摂政を巡って権臣たちの勢力争いが続いた。最後は張天錫によって殺害された。在位9年。

区星

?-187年。賊の頭目だったといい、黄巾の乱以降、治安が悪化すると将軍を自称して長沙郡を中心に荊州南部を荒らした。零陵郡の周朝、桂陽郡の郭石らが同調したが、十常侍の偽勅で長沙太守に任命された孫堅が赴任すると、ひと月余りでまとめて鎮圧された。

江総

519年-594年。字は総持。江紑の子。西晋から続く名門貴族の出身。尚書令の重職にありながら詩文を作るのみで、狎客と批判を受けた。陳叔宝の政治的暗愚を助長し、奸臣とも評される。優れた詩文は高く評価されるが、亡国の臣という経歴を伴って軽薄だとも評価される。

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