慕容策
publish: 2021-10-20, update: 2026-04-19
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386年-398年。濮陽王。慕容宝の子。美少年と記録が残る。父・慕容宝からは愛され、慕容会が太子から廃されると新たな太子として立てられた。段速骨、および蘭汗が反乱すると、擁立されたが、間もなく殺された。
惰弱と評されるが、享年12歳の子供への評価としては少し手厳しい。
関連
劉衛辰
?-392年。匈奴鉄弗部の大人。劉務桓の子。赫連勃勃の父。鉄弗部を率いて代と前秦の間で離合集散を繰り返した。前秦の攻撃で代が滅亡すると、代の東西分割に伴って西単于に封爵された。前秦が崩壊すると西燕、後秦、後燕と外交して北魏と争ったが、北魏に本拠・代来城を攻略され殺害された。
閻式
?-309年。天水郡の人。閻彧とも。李特たちが難民を連れて益州へ移るとこれに従った。益州刺史として羅尚が着任すると李特の使者として度々往来し、難民側の主張を羅尚に伝える一方で、羅尚から李特への懐柔の窓口となった。李雄の代に尚書令まで昇るが、配下の訇琦、張金苟に殺害された。
張重華
330年-353年。字は泰臨。前涼の第5代君主。桓公。張駿の次男。張駿の跡を継ぐ。張駿の死を好機ととらえた後趙に領土を侵されるが国威を維持し続けた。後趙が滅ぶと勃興した前秦と争った。徐々に政務を怠り佞臣を蔓延らせた。病のため死去。在位8年。