慕容策
publish: 2021-10-20, update: 2026-04-19
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386年-398年。濮陽王。慕容宝の子。美少年と記録が残る。父・慕容宝からは愛され、慕容会が太子から廃されると新たな太子として立てられた。段速骨、および蘭汗が反乱すると、擁立されたが、間もなく殺された。
惰弱と評されるが、享年12歳の子供への評価としては少し手厳しい。
関連
傅俊
? - 31年。字は子衛。潁川郡襄城県の人。王莽政権で襄城の亭長を務め、劉秀を迎えて校尉となった。このとき母と弟を失い昆陽の戦い以後、服喪のため帰郷した。河北攻略中に邯鄲で合流した。劉秀の皇帝即位時には陰麗華を迎える使者となった。積弩将軍、昆陽侯。
王華
385年-427年。字は子陵。琅邪郡臨沂県の人。王廞の子。王恭と王国宝の争いの中で父・王廞が行方不明となり、恩赦を受けるまで逃亡生活の幼少期を過ごした。後に劉裕によって喪中が発せられ、正式に服喪した。劉義隆に仕えて、張邵の失脚後その職務を代行した。
蘭汗
?-398年。慕容垂の母・蘭氏の弟、慕容盛の舅。段速骨が反乱すると呼応して龍城を陥落させた。段速骨を殺害して慕容宝を迎え入れようとしたが、弟・蘭加難が慕容宝を殺したため実現しなかった。大単于、昌黎王に即位し青龍と改元した。慕容盛を迎え入れたが慕容盛に謀られ殺害された。