段宏
publish: 2026-04-17, update: 2026-04-17
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生没年不詳。 南燕の尚書左僕射、後に徐州刺史。 後燕の中原喪失時に慕容徳に従った。 慕容超が即位すると公孫五楼による体制に不安を得て、慕容鍾、慕容法らと反乱した。 企ては失敗し北魏に逃れるが、後に東晋に帰順して功を成し、宋の征虜将軍、青州冀州刺史まで昇った。
関連
劉粲
?-318年。字は士光。前趙の第4代皇帝。隠帝。劉聡の次男。都督中外諸軍事、相国などの重要職を歴任した。皇太弟劉乂の存在により長らく皇太子に立てられなかったが、後に劉乂を謀殺し皇太子となる。劉聡の死後、皇帝に即位するも外戚の靳準に謀反され処刑された。在位3か月。
王覇
?-59年。字は元伯。潁川郡潁陽県の人。元は獄吏だった。劉秀が潁川に至って以来その創業に参加した。河北平定では、進退窮まった一行に虖池河が凍り付いて渡河が可能であると偽りの報告をし、事実凍っていたため活路を見出した逸話がある。河北の苦難から「疾風、勁草を知る」と劉秀に評された。杜茂、馬成とともに長らく北辺に鎮した。上谷太守、淮陵侯。
劉義隆
407年-453年。劉宋の第3代皇帝。文帝。劉裕の第3子。兄劉義符が廃されると即位した。兄を殺害した罪で徐羨之らを処刑し朝廷を掌握した。元嘉の治と呼ばれる全盛を築くが、晩年は北魏の侵攻を受けて国内は乱れた。劉劭の廃嫡を考えるが、決起した劉劭に殺害された。在位29年。