慕容評
publish: 2021-07-29, update: 2026-04-19
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生没年不詳。慕容廆の子。軍を率いては功を重ね、慕容恪とともに朝政を管掌した。しかし統治には暗く、慕容垂を政敵として離反させ、慕容恪の死後は政治が腐敗した。前秦の攻撃を受けて高句麗へ亡命したが捕縛、送還された。苻堅によって范陽郡太守に任じられ、任地にて没した。
関連
劉祜
94年-125年。安帝。後漢の第6代皇帝。清河王・劉慶の子。父・劉慶は元々劉炟の皇太子であり、廃嫡された経緯を持つ。劉隆が夭折すると代わって即位した。皇太后・鄧綏の死後、皇后・閻氏や宦官の助力を得て鄧一族を追い落としたが、側近の利己主義を統制できず朝廷を衰微させた。
王経
?-260年。字は彦緯。冀州清河郡清河県の人。農家の出身だが曹丕の代に名士として名を知られた。軍事には明るくなく姜維の北伐に大敗して陳泰から批判を受けた。魏の司隷校尉、尚書まで昇ったが、甘露の変にて曹髦に近侍し続けたため反逆罪に問われて処刑された。後に司馬炎によって名誉を回復された。
悦綰
?-368年。鮮卑の人。慕容皝に服属した大人の一人。後趙の遠征を退けるなど一軍を率いて活躍した。并州刺史、尚書左僕射を歴任した。慕容評が悪政を行うと、上奏して多くの不正を摘発した。前秦の侵攻を前に病没するが、慕容評による暗殺の風聞も流れた。