傅亮
publish: 2021-08-08, update: 2026-04-19
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374年-426年。字は季友。北地郡霊州県の人。傅玄の来孫。傅瑗の子。東晋の時代に劉裕政権の下で昇進を重ねた。宋が建つと侍中、中書令を歴任した。建国の功臣として建城県公に封じられた。劉義符の廃位に関わり劉義隆を迎えたが、劉義符殺害の罪を問われ処刑された。
関連
宇文導
511年-554年。字は菩薩。宇文顥の子。宇文泰の甥。北鎮の乱では宇文泰とともに葛栄の軍に加わり後に賀抜岳に従った。東魏戦線では主に留守役を務めて、後備えとして前線を支えたほか、内地の反乱にも対応して、西魏体制の恒久化に貢献した。章武郡開国公まで昇り、皇族に次いで序列が高い。
乞伏熾磐
?-428年。字は太祖。西秦の第3代の王。文昭王。乞伏乾帰の子。南涼の人質となっていたが、後に父乞伏乾帰の下に出奔する。西秦が復興すると立太子される。父が乞伏公府に殺害されると乞伏公府を殺害し王位を継承した。南涼を滅ぼし北涼と抗争した。病没。在位16年。
高殷
545年-561年。字は正道。北斉の第2代皇帝。廃帝。高洋の第1子。北斉建国と共に立太子されるが、父の高洋に疎まれた。父高洋の死後即位する。鮮卑系武官と漢人系文官の対立を経て高演へ権力が集中した。太皇太后の婁昭君の勅令により廃され、後に高演に殺害された。在位1年。