耿宝
publish: 2021-12-20, update: 2026-04-19
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?-125年。字は君達。右扶風茂陵県の人。耿襲の子。耿弇の弟・耿舒の孫。妹を清河王・劉慶の王妃とし、安帝・劉祜の外戚となる。劉祜の親政により大将軍となるが、樊豊ら佞臣の増長を抑えられず、劉保の廃太子、楊震の免官を引き起こした。劉祜の死後、権力掌握を目論む閻氏一族によって投獄され自殺した。
関連
阮佃夫
427年-477年。会稽郡諸曁県の人。元嘉年間に湘東王劉彧に仕えて劉彧に信任された。劉彧が劉子業に監禁されると、諸方と連絡を取り合って劉子業の廃位を計画、実行した。対抗する反乱には軍を率いて転戦した。劉彧の死後、劉昱の廃位を実行したが失敗し処刑された。
夔安
?-340年。石勒十八騎の一人。天竺の出身であるが、遼東へ移り住んだ。傭兵稼業をする石勒と共に群盗となり各地を荒らした。石勒、石虎に従って文武を歴任した。晩年には、石鑑、冉閔、李農、張賀度、李菟ら五将を従え、荊州を攻めて東晋に名を響かせた。
司馬瑋
271年-291年。字は彦度。楚王。司馬炎の第5子。八王の一人。賈南風による楊駿排斥に協力した。その後、補政の任に当たった司馬亮や衛瓘と対立し、賈南風に唆されて司馬亮、衛瓘を粛清した。賈南風によって司馬亮、衛瓘殺害の罪を押し付けられ処刑された。横暴の評価が残る。