司馬穎
publish: 2021-04-25, update: 2026-04-19
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279年-306年。字は章度。成都王。司馬炎の第16子。八王の一人。三王起義の一人として司馬倫を討伐した。後に司馬冏、司馬乂、司馬越と立て続けに対立した。司馬越に敗れて司馬虓に幽閉されていたが、復権を恐れられて処刑された。配下の劉淵は救援を名目に匈奴を独立せしめ、後の前趙を構成した。
関連
慕容廆
269年-333年。慕容渉帰の子。慕容吐谷渾の弟。前燕の基盤を築いた。元来西晋に帰属していたが国勢を年々弱める西晋に変わって遼西・遼東の統治体制を確立させた。引き続き東晋に臣従し遼東公に封じられた。病没。鮮卑慕容部の大人としての在位は49年。
姚萇
331年-394年。字は景茂。後秦の創建者。武昭帝。姚弋仲の子。姚襄の弟。羌の出身。父の代では前趙、後趙に帰属したが兄・姚襄が前秦と戦い敗死した背景を持つ。前秦に降伏した後は各地を転戦して功績を挙げた。淝水の戦い以後独立し苻堅を殺害した。病没。在位8年。
王経
?-260年。字は彦緯。冀州清河郡清河県の人。農家の出身だが曹丕の代に名士として名を知られた。軍事には明るくなく姜維の北伐に大敗して陳泰から批判を受けた。魏の司隷校尉、尚書まで昇ったが、甘露の変にて曹髦に近侍し続けたため反逆罪に問われて処刑された。後に司馬炎によって名誉を回復された。