何進
publish: 2021-12-26, update: 2026-04-19
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?-189年。字は遂高。南陽郡宛県の人。何真の子。屠殺業を営む家に生まれたが、妹が後宮に入ったため、潁川太守、侍中、河南尹など歴任し大将軍まで昇った。黄巾の乱を鎮圧したが、後継争いから宦官と激しく対立し各地の軍閥を召集して後の混乱を招いた。参内したところを張譲によって殺害された。
関連
高雲
?-409年。字は子雨。北燕の初代天王。恵懿帝。高抜の子。高句麗の王族出身。慕容宝の養子となり慕容雲を名乗った。慕容熙の死後、馮跋に擁立されて燕王となる。北魏との関係は悪化したが高句麗との関係は好転した。寵臣の離班、桃仁に殺害された。後燕の5代皇帝とも解釈される。
苻訓英
?-407年。慕容熙の皇后。苻謨の娘。慕容垂が後燕を立てたとき、苻氏の一部が取り立てられ父・苻謨が中山尹となった。慕容詳の反乱で父が殺されると、逃れて慕容熙の妻妾となり後に皇后となった。姉の苻娀娥と共に絶世の美女と評され、文字通りの傾国となった。
索綝
?-316年。索靖の第5子。兄の仇討で37人を殺害した。麹允と共に西晋の復興に力を尽くしたが、前趙の勢いを止めることはできなかった。長安が包囲されると、保身を計って劉曜へ偽計を用いたが、劉曜に看破された。長安陥落とともに平陽に連行されて刑死した。