何進
publish: 2021-12-26, update: 2026-04-19
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?-189年。字は遂高。南陽郡宛県の人。何真の子。屠殺業を営む家に生まれたが、妹が後宮に入ったため、潁川太守、侍中、河南尹など歴任し大将軍まで昇った。黄巾の乱を鎮圧したが、後継争いから宦官と激しく対立し各地の軍閥を召集して後の混乱を招いた。参内したところを張譲によって殺害された。
関連
蕭子良
460年-494年。字は雲英。竟陵王。蕭賾の第2子。斉代随一の文化人で各種の書物や仏典に通じた。自邸である鶏籠山の西邸には当時の文人たちが多く集まり、著名人は竟陵八友と称される。蕭賾の死後、王融らに擁立される動きがあったが、権力闘争を避け実現しなかった。間もなく死去。
檀道済
?-436年。劉裕に仕えて、桓玄の乱や北伐を転戦して宋朝建国の功臣となった。劉義符の廃位に加担するもその後の罪を逃れた。のちに北伐を行い、対北魏戦線の要として軍の最高職を務めたが、勢威を恐れた劉義隆に殺害された。『三十六計』の著者。
元宝炬
507年-551年。西魏の初代皇帝。文帝。拓跋宏の孫。元愉の子。元脩が高歓の排除に失敗して宇文泰を頼るとこれに従った。元脩が宇文泰に殺害されると代わりに擁立され即位した。実質は宇文泰の傀儡であった。東魏に対して軍事的劣勢が続くが、勢力は徐々に膠着した。在位16年。