侯莫陳順
publish: 2022-02-13, update: 2026-04-19
?-557年。代郡武川鎮の人。侯莫陳興の子。侯莫陳崇の兄。爾朱栄、次いで賀抜勝に従った。北魏末の反乱に従軍して栄転した。孝武帝・元脩に従って関中に入り、同郷の宇文泰から歓迎された。東魏戦線で活躍したほか、氐の反乱鎮圧では離間を行うなど知略にも優れた。
関連
劉聡
?-318年。字は玄明。前趙の第3代皇帝。昭武帝。劉淵の四男。劉淵の死後、帝位は長男の劉和が継いだが劉和は兄弟の誅殺を試みた。事前にこれを知った劉聡は劉和を捕え処刑して皇帝として即位した。洛陽・長安を攻略し西晋を滅亡させるも、後年は国を乱した。病により死去。在位9年。
高洋
526年-559年。字は子進。北斉の初代皇帝。文宣帝。高歓の第2子。高歓の死後その勢力は長子の高澄が継ぐが、高澄が蘭京に殺害されたため蘭京を討って地位を固めた。元善見に禅譲を迫り皇帝に即位、北斉を建てた。当初は精力的であったが、後に酒色におぼれた。在位9年。
顧雍
168年-243年。字は元歎。呉郡呉県の人。父の名は不明。蔡邕に師事した。後漢の合肥県令を初め地方官を務めたのち孫権に仕えた。十九年の長期にわたり丞相を務めた。寡黙、公正で孫権には顧公が酒席にいると人々は楽しめないとまで言わしめた。諡は粛。醴陵侯。次子の顧裕が継いだ。