侯莫陳順 ( こうばくちんじゅん )

publish: 2022-02-13, update: 2026-04-19

?-557年。代郡武川鎮の人。侯莫陳興の子。侯莫陳崇の兄。爾朱栄、次いで賀抜勝に従った。北魏末の反乱に従軍して栄転した。孝武帝・元脩に従って関中に入り、同郷の宇文泰から歓迎された。東魏戦線で活躍したほか、氐の反乱鎮圧では離間を行うなど知略にも優れた。

関連

慕容徳

336年-405年。字は玄明。南燕の初代皇帝。献武帝。慕容皝の子。前燕の范陽王。前燕が滅びると前秦に降って張掖太守を任じられた。淝水の戦いで前秦が大敗すると兄・慕容垂に従って後燕の車騎将軍となる。北魏の攻撃により慕容宝が北へ逃れると、山東半島で独立し皇帝を称した。

劉植

?-26年。字は伯先。鉅鹿郡昌城県の人。王郎が挙兵して河北が揺れたとき、昌城県を守って劉秀を迎え入れた。真定王劉楊との婚姻外交を行い、郭聖通との縁組を成立させた。これにより劉秀の河北における地盤を固めた。驍騎将軍、昌城侯。

拓跋什翼犍

318年-376年。代の第10代王。拓跋鬱律の子。拓跋翳槐の弟。若年を後趙の人質として襄国、鄴で過ごした。在位は38年の長期にわたり、安定した治世は代の最盛期を作った。後趙、前燕の滅亡時はいずれも南進しなかった。前秦の攻勢が強まると病により諸族の統率が弱まり、拓跋斤に唆された拓跋寔君に殺害された。

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