魚豢
publish: 2021-12-06, update: 2026-04-19
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生没年不詳。雍州京兆郡の人。魏の郎中となるが、そのほかの事跡は不明。私撰である『魏略』、および『典略』を著した。著書のほとんどは唐代後期に散逸し、現存ずるものはごく一部であるが、正史『三国志』を始め、他の史書の引用、転載として継承されたと考えられる。倭国に関する最古の記述と目される。
関連
仏図澄
232年-349年。姓は白。亀茲国、または天竺の出身。石勒、石虎からの信頼を得て、仏教を急速に普及させた。訳経を行わず神異僧に数えられるが、その布教は高邁な教義や神異の力ではなく、日常生活に則した生活態度を根本とした。門下からは多数の高僧を出し、仏教の源流となった。
陸法和
?-558年。出自は定まらない。貧道を自称して多数の弟子を取った宗教指導者。侯景が乱を為すと蕭繹に従い、任約や蕭紀を相手に戦った。蕭繹の即位と共に累進するが、指導者の立場を崩さず独自路線を採り、西魏が江陵を制圧すると北斉の高岳に降った。高官を務めつつ道士として全うした怪人物。
石虎
295年-349年。字は季龍。後趙の第3代皇帝。武帝。石勒の甥。暴虐な性格であり石勒が戒めても改まらなかった。石勒の死後、石弘を廃して皇帝に即位した。造反が絶えなかったが、統率力に優れてその都度鎮めた。東晋、前燕と抗争を続け後趙の最盛を築く一方で、過大な支出により経済的な疲弊をもたらした。在位16年。