魚豢 ( ぎょかん )

publish: 2021-12-06, update: 2026-04-19

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生没年不詳。雍州京兆郡の人。魏の郎中となるが、そのほかの事跡は不明。私撰である『魏略』、および『典略』を著した。著書のほとんどは唐代後期に散逸し、現存ずるものはごく一部であるが、正史『三国志』を始め、他の史書の引用、転載として継承されたと考えられる。倭国に関する最古の記述と目される。

関連

麹允

?-316年。金城郡の大豪族の出身。長安陥落時に逃走し、賈疋を説得して長安を奪還した。閻鼎を弾劾して政治を主導した。前趙と一進一退を繰り返すも、人心を得られず、長安は陥落した。平陽に連行されたのち自害したが、同時にその忠義を劉聡から評価された。

臧宮

?-58年。字は君翁。潁川郡郟県の人。県の亭長を務めたが食客を率いて下江軍に入った。劉秀に従って各地を転戦した。公孫述の討伐では岑彭が凶刃に倒れるなど苦戦を強いられたが、電撃戦をもって綿竹、涪城など州内の各地を落した。城門校尉、朗陵侯。

宇文護

513年-572年。字は薩保。代郡武川鎮の人。宇文顥の子。宇文泰の兄の子であり、宇文泰と共に西魏の重臣となった。宇文泰の死後、北周が成ると専横を強めた。趙貴、独孤信らの重臣のほか宇文覚、宇文毓を殺害する暴虐の一方で、優れた治政により北斉との国力を逆転させた。愚鈍を演じた宇文邕によって殺害された。晋国公。

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