魚豢 ( ぎょかん )

publish: 2021-12-06, update: 2026-04-19

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生没年不詳。雍州京兆郡の人。魏の郎中となるが、そのほかの事跡は不明。私撰である『魏略』、および『典略』を著した。著書のほとんどは唐代後期に散逸し、現存ずるものはごく一部であるが、正史『三国志』を始め、他の史書の引用、転載として継承されたと考えられる。倭国に関する最古の記述と目される。

関連

慕容木延

生没年不詳。魏晋時代の鮮卑慕容部の大人。莫護跋の子。慕容廆の祖父にあたる。左賢王の地位にあり、毌丘倹の高句麗討伐に協力して功を立てた。

司馬衷

259年-307年。字は正度。西晋の第2代皇帝。恵帝。司馬炎の第2子。兄・司馬軌が夭折したため立太子された。司馬炎の死後、即位するが、皇帝として暗愚と評価される。皇后の賈南風を筆頭とする外戚の台頭や、八王の乱を抑えることができなかった。病没。司馬越による毒殺とも。

耿弇

3年-58年。字は伯昭。扶風茂陵県の人。耿況の子。更始帝・劉玄が立ち王莽が敗れると、王莽政権下で上谷太守を務めた父の命で使者として長安に上ったが、途上で劉子輿を偽称する王郎の挙兵に阻まれ劉秀に仕えた。計略に優れ、後に曹操や檀道済に引用された。建威大将軍、好畤侯。

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