斛律光
publish: 2021-11-05, update: 2026-04-19
515年-572年。字は明月。斛律金の第1子。父に従い初陣で宇文泰の長史・莫者暉を討ち取った。大鵰(オオワシ)を射止めたことから落鵰都督と呼ばれ、高歓、高澄に厚く任用された。娘に皇后を輩出するなど一族揃って栄転したが、祖珽や穆提婆の恨みを買い、讒言を受けた高緯に処刑された。
関連
苻法
?-357年。字は永則、幼名は阿法。苻雄の庶長子。清河王。苻生殺害の政変を決行し、弟の苻堅に皇帝即位を促した。憚った苻堅は皇帝ではなく大秦天王を称した。賢明で人望があったがゆえに、苻堅の生母・苟氏に猜疑され賜死を受けた。
拓跋鬱律
?-321年。代の第4代王。拓跋弗の子。拓跋猗盧の死後、相続が混乱すると代王に擁立された。各地へ遠征し西は烏孫、東は勿吉を攻略し、鮮卑を北方最強たらしめた。前趙、後趙とも敵対し、前涼の朝貢を受け、東晋の爵位を拒絶した。拓跋猗㐌の妻・惟氏に殺害された。
何氏
?-189年。霊思何皇后。南陽郡宛県の人。何真の女子。何進、何苗の妹。屠殺業の家に生まれたが、賄賂によって後宮に入り、劉宏の寵愛を受けて劉弁を産んだ。同じく劉協を産んだ王氏を嫉視して毒殺し、劉協を養育する姑・董氏と後継を争った。董卓が劉弁を廃位すると李儒によって毒殺された。